東アジア古典世界|教養の基盤と教育プログラム  
  古代東アジア世界はひとつの教養の基盤のうえに成り立つ文化世界としてとらえられねばならない。それは、中国を中心とした、中心と周縁というとらえかたではない。それぞれの地域は固有の言語と固有の文明をもちながら、共有される教養の基盤の上に、共通の文字(漢字)・共通の文章語(漢文)による交通によって東アジアはひとつづきの世界として成り立っているととらえるのである。それぞれの地域の固有の文明性は、むしろ、そのなかで自覚されるものにほかならない。そのことを、わたしたちは、日本の古典世界について考えるなかで明確にしてきた。中国の古代文学、朝鮮の古代文学、日本の古代文学という枠組みをはなれて見なければ、東アジア古典世界は正当にとらえられない。教育のプログラムも、この見地にたって考えるべきである。  
 

神野志隆光

 
  問題としての東アジア古典世界  
    本報告では、私たちの研究プロジェクトを、東アジア古典研究にかかわる日本の現状への対応として紹介する。とくに二つの問題をとりあげたい。一つは、学校教育における漢文学習の危機的な状況であり、もう一つは、文学研究において各国別の枠組みからの離脱がもとめられる状況である。さらに、東アジア古典世界、その教養の共有の経験が、中世においても影響をおよぼしたありようを、具体例を通じて明らかにする。  
   

徳盛 誠

 
  東アジア古典世界と共有された教養の基盤  
    東アジア古典世界を成り立たせている教養の基盤は、学習によって形成される。そこにおいておおきな役割をはたしたのは、字書と類書であった。また、それぞれの地域にあって独自な学習テキストを生成することにも目をむけて、複線的な学習のルートを見る必要がある。四書五経という典籍のヒエラルヒーのとらわれを脱して、かれらの学習の実際にそくして、わたしたちの教育プログラムを考えるべきであろう。そのためのテキストブックの試みを提示したい。  
   

神野志隆光

 
  東アジア古典世界における「読み」の複数性  
    東アジア古典世界に流通した漢字は、字音をある程度保持しながら、時代や地域によって、音声をさまざまに変容させた。また、漢字で書かれた古典文も、字音による直読はもとより、地域言語にあわせて吏読や訓読が試みられるなど、さまざまな読み方が工夫された。こうした「読み」の複数性があったからこそ、東アジアはゆるやかなつながりを持つ一つの教養世界として成り立ちえたのであった。その認識にたって、読みの複数性を確保しながら古典をいかに学ぶかを提示したい。  
   

齋藤希史