比較文学比較文化演習IV

担当教官:猪口 弘之
講義題目:〈母語〉への想い ──ドイツ語圏の場合

〈母語〉とは、幼時にいわば〈自然に〉習得し始めて以来、日常の思考や発言の大部分を支配するようになった言語、mother tongue / Muttersprache / langue maternelle をさす(言語史上の〈祖語〉も〈母語〉と呼ばれることがあるが、それはまた別の話になる)。

たいていの場合、何よりもまず母親の優しい語りかけや子守唄を聞いて育つことが、最初の言語体験となるのだから、〈母の言葉〉〈母から受け継いだ言葉〉がすなわち〈母語〉なのだろうが、これにはまた、自分を産み、愛しみ育んでくれたもの、つまり〈母にも等しい言語〉というイメージも重層する。

これと対をなすものといえば、多かれ少なかれ後天的・意図的に習得した、いくら熟達してもどこか自分のものとは云いきれないところの残る言語、すなわち〈よそものの言語〉(foreign language(s), Fremdsprache(n), langue(s) etrangere(s))なのだが、日本語では今のところ、それを〈外国語〉としか呼べないのは残念である。

確かに〈母語〉の意識は、自己の属する文化圏の共同体の意識(文化的アイデンティティーの意識)と、否応なくかかわってくるだろう。だが、それは〈国〉の問題とは直接にはかかわりがない。少なくとも、偏狭な国粋主義や排他的民族主義と重ね合わせて考えてもらっては、大いに困る。したがってここでもやはり、〈母国語〉とか〈自国語〉といった名称は避けておくしかないだろう。

ドイツ語圏の詩人・作家・思想家たちにも、〈母国語〉としてのドイツ語に対する深い愛憎を語った文章が多くある。この時間では、それらのうちの幾篇かを精読する。直接的な比較対照を試みるつもりはないが、例えば日本語を〈母語〉とするものからすれば思いもよらぬことも、発見できるかも知れない。なお、演習の具体的な進め方の詳細については、参加者との協議の上で決定する。