芸術作品分析法Ⅰ

担当教員:ヘルマン ゴチェフスキ
講義題目:音楽作品を複合体として解釈する方法と意義

分析という言葉は、その対象となるものが複合体であることを前提としている。しかし音楽作品はどういう意味の複合体だろうか。彫刻、絵画などと違って、音楽作品には物質的に存在するオリジナルがない。作曲家の自筆譜、作者自身が演奏した録音のマスターテープなどがあっても、それだけが作品の「オリジナル」であって、他の形態がすべて「コピー」だとは言えない。つまり音楽作品は(文学作品と同様に)ある種の「情報」から構成され、その情報さえ正しく伝われば、伝わってきたものが作品のオリジナルである。(その「正しく伝わる」の「正しく」は大変厄介な問題だが。)
 その情報が具体的に何なのかという問題は、文学作品に関しても必ずしも簡単に答えられるものではないが、音楽作品ではさらに難しい。何故なら、文学作品に例えば「言葉」があるが、その言葉がどういう声でどの様に発音されるか、あるいはただ静かに読まれて発音まったくされないのか、ということは(例外があるにしても)基本的に文学作品外の問題である。しかし音楽においては音符で書かれた旋律がどの様に演奏されるかという問題はちょうど逆に(例外があるにしても)原則的に作品の本質と深く関わるのである。
 音楽を構成する情報の内容というのは「音波」や「音」や「音高と音価」という具体的なものなのだろうか。あるいは「音符」や「音名」や「小節」の様な象徴的なものだろうか。あるいは「メロディー」や「ハーモニー」や「音楽形式」のような抽象的なものだろうか。あるいは「想像」や「感情」のような、音楽を作ったり弾いたり歌ったり聞いたりする人間の中に存在ものなのだろうか。どちらの答えも可能で、間違ってはいないだろうが、その答えによって音楽の分析方法も変わるのである。
 ちなみに音楽作品にはさまざまな形態がある。例えば西洋のクラシック音楽では作品のもっとも基本的な形態は(演奏されることを想定して書かれた)「楽譜」であり、作品分析も「楽譜分析」に等しいものと見なされることが多い。しかし例えば21世紀のポピュラー音楽を考えれば楽譜が存在しないものがほとんどで、それを分析することは主に「録音分析」になるだろう。またクラシック音楽に関しても20世紀以後に発展した録音文化があるので、その録音を演奏者の作品と見なすこともできる。つまり20・21世紀のクラシック音楽愛好家が常に手に入れるCDは、楽譜という「作曲家の作品」を耳で聴けるために実現した「演奏者の作品」であり、例えその楽譜が失われて存在しなくなっても、そのCDは作曲家の作品と演奏者の作品として、全く別の意味の二つの作品として存在し続け、その観点によって2種類全く別な作品分析が可能であり、それぞれの方法が必要になる。
 この授業では音楽作品をそういう広い視点から捉え、音楽の専門誌に発表された具体的な分析を手がかりに代表的な分析法を理解した上に批判的に議論したい。