5 類書、詞華集
類書と詞華集とは学ぶべき実作例文集という点で、字書より、運用の点では実用的で大事だったと言えるかも知れません(元来の『玉篇』の挙げる用例も、文例になったでしょうが、規模も質も違います)。
類書は、主題別にさまざまな典籍から記事をあつめて、いわば切り張りするものです。ある事柄について、どの典籍にどういうかたちで載り、それにかかわる詩などにどのようなものがあるかということなども知ることができるようにしています。この列島に伝えられたものとして、『日本国見在書目録』(九世紀末に現存した漢籍の目録)には、「雑家」の部に、『華林遍略』六百二十巻、『修文殿御覧』三百六十巻、『類苑』百二十巻、『芸文類聚』百巻、『翰苑』三十巻、『初学記』三十巻等の名が見えます(図版)。『北堂書鈔』百六十巻の名はありませんが、確実に伝来されていたと認められます。文字世界の形成におけるそれらの役割は非常に大きいものがありました。
いま残るのは、『芸文類聚』『初学記』『北堂書鈔』の三だけです。規模もかなり異なりますが、作り方も特色があり、ちょうど用途に応じていろいろな辞典や事典があるのに似ています。類書は、知識・教養を身につけるための、絶好の学習事典だったのです。
そのことを実感するには、実見に如くはないので、これらの部立てを一覧化して示し、あわせて、天部の巻頭の記事【図5−7】を紹介することとします。
『北堂書鈔』 |
帝王、后妃、政術、刑法、封爵、設官、礼儀、芸文、楽、武功、衣冠、服飾、舟、車、酒食、天、歳時、地 |
『芸文類聚』 |
天、歳時、地・州・郡、山、水、符命、帝王、后妃、儲宮、人、礼、楽、職官、封録、治政、刑法、雑文、武、軍器、居処、産業、衣冠、儀飾、服飾、舟車、食物、雑器物、巧芸、方術、内典、霊異、火、薬香草、宝玉、百穀、布帛、薬、木、鳥、獣、鱗介、虫豸、祥瑞、災異 |
『初学記』 |
―天、歳時、地、州郡、帝王、中宮、儲宮、帝戚、職官、礼、楽、人、政理、文、武、道釈、居処、器物、宝器、果木、獣、鳥・鱗介・虫 |
それぞれの特色は、図版を見てわかるとおりですが、『北堂書鈔』は、その事柄にかんする熟語・短文を連ねてゆくという体裁です。内容的には、帝王部二十巻(『芸文類聚』帝王部は四巻、『初学記』帝王部は、一巻のみ)をはじめとして、政治制度に偏るところがあり、詩や賦の実作を備えません。
それに対して、『芸文類聚』は、事項説明に続いて、詩・賦を主に、賛・銘・碑・序・表など、豊富な実作例をあげます。
『初学記』は、巻数を少なくした簡略版ですが、「事対」(故事の対)の項を立て、それに実作例を示して詩文の制作のために備えるというように、実用性を重んじたものと言えます。
これらだけでなく、『修文殿御覧』など、いまは残らないものも視野にいれておかなければなりません。具体的に例を挙げて言うと、『日本書紀』神代の冒頭部が、世界の始まりを、陰陽論的に語ることは、よく知られています。
古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其清陽者、薄靡而為天、重濁者、淹滞而為地、精妙之合摶易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定。
「天と地とが分れておらず、陰と陽とがわかれていないで渾沌としたなかから、清く明るいものが上って天となり、重く濁ったものは凝って地となったが、清くこまかなものは集り易く、重く濁ったものは固まりにくい。それでまず天ができ、そのあとに地が定まった」というわけですが、その文は、世界のはじまりを語る『淮南子』や『三五暦紀』をそのまま使っています(図版)。それ以外に世界のはじまりなど書きようがないからです。ただ、その『三五暦紀』は、直接見られる条件がありませんでした。『芸文類聚』に拠ったと考える説もありましたが、今では『修文殿御覧』によったものと考えられています(神野志隆光「『日本書紀』「神代」冒頭部と『三五暦紀』」<吉井巌編『記紀万葉論叢』>)。
『修文殿御覧』は失われましたが、十世紀末宋代の『太平御覧』(一千巻)は、これを受け継いだものと言われます。大規模で、類書の代表とも言える『太平御覧』ですが、『修文殿御覧』との関係という点でも注意したいものです。
学習事典と言ったように、それらは、典籍そのものを読まずに効率的に知識を蓄え、教養を身につける役に立ったものでした。
さらに、注意したいのは、実用という点で、読み書きするときに、直接そのまま使える文例の手引き・参考書となったということです。『日本書紀』冒頭部が『修文殿御覧』によったと言いましたが、『日本書紀』が、全体として、『芸文類聚』を使って書いたところが多いということは、小島憲之『上代日本文学と中国文学 上』によって実証されたとおりです。書くということは、そういうかたちではじめて可能であったと言うべきでしょう。
詞華集(アンソロジー)も、そのまま使えるという点では同じです。
周代から梁代までの詩文のエッセンス、約八百篇を集めた『文選』(三十巻)を、ここであげねばなりません。『枕草子』にも「文は、文集、文選」とありますが、八世紀においては、その存在はより重いものでした。
『文選』は、詞華集たることを、その名において宣言して、賦、詩からはじまって、騒・詔・令・表・書・序・論等々、さまざまな文体の作品をえりすぐって総集しています。こういうものはこのように書くものだという、いわば、壮大な、見本集とも言えます。しかも、たとえば、賦に含まれる主題を、京都からはじめて、紀行、遊覧、江海、物色、鳥獣、哀傷、音楽、情、等々と、書き並べてみればもうあきらかですが、事や物を取り出して見せる、その全体が、世界にある諸々のことをあらわしだすということになるものです。詩も、多様な主題が展開されます。献詩、公讌、詠史、遊覧、述懐、哀傷、贈答、行旅等、あり得るさまざまな場面における詩を並べることは、端的に言えば、世界に起こることを詩で覆うということです。世界のなかに考えられる主題を、まさに百科的にあらわしているのであり、学ぶ側から言えば、いろいろな場面に対応して、必要なことを知り、かつ、そのまま使える学習事典だということができます。
その『文選』につけられた注にも注目したいと思います。七世紀半ばに、李善が注をつけた『文選』のテキストが、『日本国見在書目録』に載っています。「文選六十巻 李善注」とあります。巻数でわかるように、広翰な注ですが、その注のつけ方は、もっぱらその表現に関する用例を諸書からあげるものです。
嵆康の「琴賦」(第十八巻所収)を例として見ましょう。序において「衆器の中、琴徳最も優なり」(さまざまな楽器では琴の徳がもっとも優れている)といい、その琴について述べてゆきます。琴の材料となる「椅梧」(イイギリとアオギリ)の生えている場所から語り起こしますが、その語り起こしの部分を見てください【図8:李善注文選】。本文と注とでは、注のほうが分量が多いくらいですね。
まず、本文だけ取り出しておきます。
惟椅梧之所生兮、託峻嶽之崇岡。 |
惟れ椅梧の生ずる所、峻嶽の崇岡に託す。 |
披重壌以誕載兮、参辰極而高驤。 |
重壌を披いて以て誕に載ひ、辰極に参りて高く驤る。 |
含天地之醇和兮、吸日月之休光。 |
天地の醇和を含んで、日月の休光を吸ふ。 |
鬱紛紜以独茂兮、飛英蕤於昊蒼。 |
鬱紛紜として以て独り茂り、英蕤を昊蒼に飛ばす。 |
夕納景于虞淵兮、旦晞幹於九陽。 |
夕に景を虞淵に納れ、旦に幹を九陽に晞す。 |
経千載以待價兮、寂神跱而永康。 |
千載を経て以て価を待ち、寂として神のごとく跱ちて永く康し。 |
大意は、「椅梧の生えている所は、険しい山の高い岡であり、大地をおしひらいて生え、北極星に届かんばかりに高くそびえている。天地の醇和の気を含み、日月の光を吸収し、鬱蒼として茂り、花を天に飛ばす。夕べには影を虞淵に浮かべ、あしたには幹を太陽に乾かして、千年のあいだ買い手を待って、静かに神のように立ち、永く安らかであった」となります。場所の説明がなおつづきますが、ここで切ります。
これに対して、李善の注がどのようにつけられるかというと、文脈理解や解釈を示すのではありません。「椅」について「毛詩」とその「伝」を、桐と琴について「史記」を、「誕」の訓について「毛詩伝」を、「辰極」について「爾雅」を、「驤」の訓について「尚書伝」を、第三の句全体について「周易」を、「蕤」について「説文」を、「虞淵」について「淮南子」とその注を、「幹」「九陽」について「楚辞」とその注を、「待價」について「論語」を、それぞれ主に用例として挙げるのです。
琴の素材の桐について語られたものと、そこに注として集められたものから派生してゆく知識(原典を見ることなく得られます)と、あいまって、教養と表現見本とを一挙に獲得できます。多様な学習事典となるわけです。
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