『古典日本語の世界』講義  

教育プログラムの実習的試みとして、『古典日本語の世界』(2007年4月16日に東京大学出版会より刊行)にもとつづく講義を、神野志・齋藤が実施している。また、これをDVD録画したものをEALAI(東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ)のご協力を得てベトナム国立大学ハノイ校日本学科に提供している。以下に、全12回のうち、第1回から第6回までの講義内容の骨子を紹介する。

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▼講義内容  

第1回:日本語日本文学Ⅰ:2008.04.16

 

[神野志 隆光]

前半の構成(テキストpp.3-123による)

1、文字の文化世界のなりたち(pp.3-11,pp.33-40)
2、共有される教養の基盤(pp.12-28)
3、読み書きのなかのことば――漢字のなかで生きるということ(pp.40-52)
4、『古事記』――「神話」「伝承」という虚構(pp.52-60)
5、『万葉集』――歌を書くこと(pp.63-93)
6、多様な文体の読み書きへ(pp.99-123)

1.文字の文化世界のなりたち

中国を中心として広がる文字文化の世界のなかに組み込まれる――、それがこの列島の文化の展開であった。「影響」などというのは適切ではない。ひとつの文化世界(おなじ世界)のなかに生きるということだ。そして、この文化の世界が政治構造としてなりたつということを見落としてはならない。

この東アジア世界の、ローカルな営みとして、列島のうえにあったものを見ることが必要なのだ。「日本」という区切り方は有効ではない。(韓国についても、さらには、中国についても、ことはおなじだといおう。) 1世紀以来の展開を、残された文字資料によっていえば、5世紀段階で文字を内部化し(列島の社会内部で文字を用いる)、7世紀も後半になると漢文(外国語文)として用いるだけではなくなっていた。その水準にいたって、はじめて文学は生まれる。

 

第2回:日本語日本文学Ⅰ:2008.04.23

 

[神野志 隆光]

2.共有される教養の基盤

中国王朝を中心とする政治構造は、東アジアをひとつの文化世界としてつくるのであった。それは、共通の文字・共通の文章語(つまり、漢字・漢文)による文字の交通としてあるものだが、学習によって共有される教養の基盤のうえに成り立つ。

読み書きは、学習によって可能となるものである(どの文字世界においてもおなじことだが)。中国大陸においても、日本列島にあっても、ことはかわらない。その学習の現場をまざまざとうかがわせるものが、習書木簡である(p.10の写真)。一字一字切り離して覚えるようなものでなく、実際の用例とともに、また、文章の形とともに学ぶものなのであった。

字書・読本・類書・詩華集は、その学習のそれぞれのレベルで機能するべくもとめられるが、より機能的・効率的であろうとして、かつ、時代の変化にも応じて、くりかえし更新された。(この列島には、更新された結果、大陸では完全に失われてしまったもの=原本系『玉篇』などが、のこっている。)

文字そのものの学習――『千字文』、『玉篇』(pp.12-15)

文例の学習―-類書・詩華集は、実作文例集であり、学習事典でもあった(pp.15-23)。

読み書きは、こうして教養を共有して、その基盤(ひとつの文化世界たる基盤)のうえに成り立つ。コミュニケートは、そこではじめて可能なのである。

訂正:p.46,L-7 山口の引用中、「以和以貴」とあるのは、「以和為貴」の誤植

 

第3回:日本語日本文学Ⅰ2008.04.30

 

[神野志 隆光]

3.読み書きのなかのことば――漢字のなかで生きるということ

この列島は、一世紀以来東アジア世界の文字の交通のなかに組み込まれたが、列島の社会内部で文字を用いるようになったのは五世紀段階であった。そして、訓読による学習を通じた読み書きの拡大が、七世紀後半には、文字の広がりが読み書きの世界を形成するにいたったと認められる。特別な場だけでなく、日常の用途に文字を用いるようになったといえる資料があらわれるのである。文字による国家の運営(律令国家は文字行政によって成り立つ)は、そのうえに可能であった。

その読み書きの世界は、漢文ではないもの(非漢文)とともにあった。訓読がもたらしたものである。多様な書紀が並存していたが、漢字は、外国語文としての漢文の文字であるにとどまらず、列島の人々のことば=日本語(倭語というべきかもしれない)と回路をもつにいたったのである。文字の質の転換といってよい。

ただ、それは、日本語を読み書きするというのではすまされない。訓読は、いわば人工的な、生活のことばとは異なることばをつくる。それが読み書きのことば(あたらしい書記言語)であった。

そうしたことばのうえに、漢文―非漢文の広がり(段差のない広がり)があるという、読み書きの空間のなかにかれらは生きていた。そこにおいて古代の文学がありえたこと見るべきである。

 

第4回:日本語日本文学Ⅰ2008.05.07

 

[神野志 隆光]

4.『古事記』――「日本神話」「伝承」という虚構

列島の国家は、政治的には、七世紀以後冊封をはなれ、律令国家・「日本」として、中国古代帝国のミニ版=小帝国を構築しようとする。ただ、そのことによって、ひとつの文化世界のなかに生きるという本質がかわるものではない。そのなかにしかありえないのである(だから、ローカルないとなみという)。

ひとつの文化世界のなかにあることは、共通のありようの実現の追究にむかう。モデルは中国古代帝国のつくったものである。それとおなじものをつくろうとした(それは、学習によって教養を共有することを基盤として、読み書きの世界をつくることとともに可能であった)。

その世界としてのありよう(文化世界を実現してあること)を確証しようとするものが八世紀初の文学のいとなみ(701年の大宝律令の施行が制度的達成であり、そのもとにもとめられたものとして、古代文学史の出発はある)である。その世界の実現は「歴史」的に確かめねばならない(「歴史」が書かれねばならない)し、詩もつくらねばならない。

「歴史」を書くことにそくしていえば、自己確証にほかならないのである。

『日本書紀』は、持統天皇にいたる展開において文字の文化国家としてつくりあげたことを語り、そこにつながっていまの自分たちがあるのだと確信しようとする。

『古事記』もまた「邦家の経緯、王化の鴻基」として自らを位置づける。しかし、『古事記』に語りだされる「歴史」は、『日本書紀』とは根本的に異なる。文字とは別なところにあった「古代」世界(そこでは天皇は「聞く」ことによって世界を回収する)を、非漢文で語るのである。

共通性においてあることと固有性の自覚とがあいまってそれをあらしめている。
共通の文化を実現して東アジア世界において生きることが、固有性への自覚(それ自体としてありうるものではない)を明確にさせるのである。『古事記』はそうとらえねばならぬ。(→ 歌もそうだ。)

『古事記』が非漢文で書くことは、語り継がれた伝承を文字化することなどではありえない。そこにあるのは、人工的な訓読のことばが加速されたものだ。そして、内容は固有性の自覚による物語なのである(「聞く」天皇を実態化することはできない)。

「日本神話」「伝承」といって、民族的な文化をもとめるのは、近代がつくりだした虚構にすぎない。

 

第5回:日本語日本文学Ⅰ2008.05.14

 

[神野志 隆光]

5、ウタを書くこと――『万葉集』

一つの文化世界のなかで共通性においてあろうとしつつ、固有性の自覚を明確にもつことが、ウタを書くことをもたらす。

そもそもウタは書くべきものではない(pp.90-91)。そこから出発すべきだ。あったウタが書かれるというわかりやすさを自明とするべきでもない(あったかもしれないウタと書かれたものとは別物だ)。書くことによって「歴史」のなかのウタを示し出す、たとえば、『古事記』におけるウタは(『日本書紀』におなじウタがあったとして、その存在意義は異なる)、文字とはべつな自分たちの世界にあったものとしてのウタを見出し、確証するのである。それは、『古事記』において、そのように "伝えられてきたもの" となったのだ(伝えられてあったものかもしれないが、それを書き止めたというのではない)。それによって、ウタは固有のものとして保障される。

その固有のウタを自分たちの文明性の証として、構築した文化世界のなかに、詩とは別にもたねばならない。自分たちの文芸といってもよい。それは、文字のウタとして(あったもの=歌謡とは質の異なる、あたらしいウタだ)なされねばならないのであり、そのことがどう可能であったかを問うべきなのである。

要は、自然発生的、単発的なものではありえないということだ。

それは、漢字のなかでなされるしかない。漢字の基盤(共有される教養の基盤)は、ウタのことばの質の問題であり(参照、pp.68-71、pp.75-76)、ウタの方法(歌集の分類をもふくめて)の問題でもある。どのような書記をとるにせよ(書記をめぐる研究状況については、参照、pp.84-90)、問題の本質は変わらない。

ただ、単発的分散的ではありえず、その広がりを明示するために(社会的、歴史的な広がりが証される必要がある)、歌集を志向する(詩集もおなじだ)。ウタを書くことは、歌集をつくることとともにあったというべきだ。「人麻呂歌集」の意味を、そうした視点で、ウタの見本集(*)とその実践編だととらえたい。

*すくなからぬ女の歌をふくむが、さまざまな場面におけるウタの可能性がこころみられたのだととらえることができる。

『万葉集』は、ウタの世界の広がりをあらわしだすものであった。そこに見られるのは、実際にあったウタの世界の反映ではない。『万葉集』が成り立たせるウタの世界であり、そのなかの歌人である。そのまま実態に還元することはできない。

 

第6回:日本語日本文学Ⅰ2008.05.21

 

[神野志 隆光]

6、多様な文体の読み書きへ

平安時代~中世を見渡すと、多様な書記(文体)の広がりのなかにあった。それを、かれらの生きた読み書きの世界として見よう。(そうした古典語世界を見るのでないと、現実は見失われてしまう。)

おなじ話がさまざまな書記においてあらわれるということに状況は如実に示されるのである。pp.119-120

そこに、かれらがもった書記の現実があらわれている。漢文・漢字文―混淆文―平仮名文―カタカナ文、が相互にかかわりながら、一続きにあった世界なのである。

要は、東アジア古典世界において共有される教養が、その全体をささえる基盤であったといことである。(幼学書といわれるものの意義。p.111)

和歌(古今集)と仮名日記(土佐日記)、ともに紀貫之の平仮名書記のものを、具体的な例として――、「夜の錦」であれ(朱買臣については、参照、pp.26-28)、「召」=「よぶ」であれ、かれらが生きた文字世界の基盤を考えないととらえられないのである。

平仮名は漢字の草体から生まれ、カタカナは漢文の訓読の場に生まれた。それが、訓読を基盤に、読み書きの広がりをつくってゆく。平仮名は、『土佐日記』書き出しが示すように、女性の読み書きするものという位相の異なりが認められる。そのなかで、平仮名文の独自な蓄積と発展があったということなのである。

ビデオ撮影:馬場小百合
 
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