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Archimedes of Syracuse (ca. 287-212 BC) created a water-operated planetarium. It showed the motion of the sun, the moon, and the five planets. After Archimedes was killed by a Roman soldier during the Siege of Syracuse, the machine was confiscated as war booty and brought to the capital Rome. It is almost not known how the planetarium operated. There is, however, a description with some details in Cicero’s in the fragment of his De re publica (book, 1, 21-22):

シチリア人のアルキメデス(紀元前287頃~212年)は、水力で動くプラネタリウムを作った。太陽と月と五つの惑星の運行を示すものであった。アルキメ デスはシラクサの陥落の際にローマ軍に殺され、彼のプラネタリウムは戦利品としてローマに持っていかれた。どの様な仕組みであったかは現在ではほとんど特 定できないが、その一番詳しい説明は断片として残っているキケローの作品『国家について』に見られる。


(ピルスの話)「並み外れて博学な人であったガーイウス・スルピキウス・ガッルスは、〔幻日〕が見られたと言われた頃、彼と同時に執政官であったマルクス・マルケッルスの家にたまたま居合わせたとき、マルクス・マルケッルスの祖父がシュラークーサイ(シラクサ)を占領したさいにそのきわめて富裕な美しい都からもち帰った天球儀——彼は多くの戦利品の中からほかに何一つ家へもち帰らなかったので——を見せてもらいたいと頼みました。わたしはアルキメーデースの名声のゆえにこの天球儀のことはしばしば聞いてはいましたが、その形自体にはさほど感心しませんでした。というのは、同様にアルキメーデースによって作られたもので、同じマルケッルスがヴィルトゥースの神殿に奉納した天球儀のほうがより立派で、また一般にもっと有名だったからです。しかしガッルスがこの装置の原理についてきわめて学問的な説明を始めてから、そのシキリア人はおよそ人間の本性が授けることのできると思われるよりも、さらに多くの才能をそなえていたとわたしは考えるようになりました。ガッルスの説明によれば、もう一つの、中が空洞でなくて詰まっている天球儀は古い発明で、ミーレートスのタレースがはじめて形を作り、のちにプラトーンの弟子というクニドスのエウドクソスが天界にちりばめられている星を配したものです。かなりのちになって、アラートスはこの配置と構図のすべてをエウドクソスから借りてきて、天文学の知識によってではなく、いわば詩才を発揮して歌いあげたとのことです。しかし、この種の天球儀は、その中に太陽と月と、遊星または惑星と呼ばれる五つの星の運行が印されていましたが、そのような配置はもう一つの、中が詰まっている天球儀に示すことができなかったそうです。そして彼がアルキメーデースの発明で感心したのは、一回の回転が不同の、さまざまな軌道を、まったく異なった速度で動く状態で示す工夫がなされた点でした。ガッルスがこの天球儀を動かすと、青銅の上で月は太陽に、ちょうど天界において遅れる日数だけ、回転数において遅れました。その結果、〔天界に〕天球儀においても同じ日蝕が生じ、また太陽がその位置から〔・・・〕とき、月は地球の陰になる転回点に達したのです。〔以下欠〕
(キケロー著「国家について」岡道男訳『キケロー選集』岩波書店、第8巻、23~24頁)

H. G.

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