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The University of Tokyo
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*卒業論文は非公開資料です。
平成27/2015年度以降
平成26/2014年度
「近代木彫の本領」 |
「メルロ=ポンティ『知覚の現象学』における「自由」の問題」 |
「〈井筒〉詞章テクストの詩学的分析の試み-語りに胚胎する夢幻性」 |
平成25/2013年度
「戦後期における円地文子の小説世界」 |
「二重の翻訳としての『指輪物語』-J・R・R・トールキンと瀬田貞二」 |
「『御府内沿革圖書』にみる江戸明地利用の地域性と変遷」 |
「明治末期の言論統制下における文学表現の追求-平出修の小説「逆徒」を通して」 |
「明治のベスト・セラーと主人公-菊亭香水『世路日記』をめぐって」 |
「民衆画家イリヤ・レーピンを問い直す-貴族の肖像画を通じて」 |
「フィリピン社会とネオエスニック-伝統との関わり方」 |
平成24/2012年度
「道徳的責任における自由と決定論の両立について-フランクファートの選択可能性原理の批判とその擁護を巡って」 |
「近世からみた中世-「見せ鞘」に関する二つの考察」 |
「抒情画の系譜における蕗谷虹児の仕事-雑誌『令女界』の中で」 |
「青本・黒本における平清盛像-黒本『清盛一代記』を中心に」 |
「近代日本の精神医療における伝統的民間治療の位置付け-寺社由来の精神病院の事例から」 |
平成23/2011年度
「『泡鳴五部作』における語り手」 |
「『カラー・オブ・ロンドン』の功罪-滞英日本人画家・牧野義雄をめぐって」 |
「折口信夫『死者の書』を読む」 |
「物語としての『智恵子抄』-智恵子の役割から考える」 |
「装幀家、橋口五葉-鏡花本から見るその仕事」 |
「ゴジラが怪獣映画史に与えた影響、その日米比較」 |
「娯楽か芸術か-石井漠が追い求めたもの」 |
「赭鞭会と前田利保の博物学について」 |
平成22/2010年度
「小売業の営業時間と消費生活の変容について」 |
「織田作之助の小説の思想」 |
「杉山茂丸における義太夫と政財界について」 |
「堀辰雄初期作品論-「ルウベンスの偽画」における他者」 |
「『新世紀エヴァンゲリオン』を読む」 |
「日英両国における戦後海運業の比較」 |
「17世紀日本における諸国物産の研究」 |
「ドナルド・デイヴィドソンのメタファー論」 |
平成21/2009年度
「矢川澄子における〈少女〉像の成立とその変遷」 |
「宗教と芸術の実存的諸相-ゴッホを中心に」 |
「メキシコの哲学者レオポルド・セアにおける哲学・ナショナリズム」 |
平成20/2008年度
「「探偵小説家」江戸川乱歩の成立-作品構造とその変化」 |
「三好達治と四行詩の詩法-フランシス・ジャムの影響を手がかりに」 |
「寺田寅彦と大正期の美術」 |
「澁澤龍彦『高丘親王航海記』を読む」 |
「マリア・ラスニックにおける自画像-身体表現を手がかりに」 |
「荷風における「窓」」 |
「『ドグラ・マグラ』論」 |
平成19/2007年度
「都鄙問答のなかの「学び」について」 |
「江戸時代の戯作と広告-山東京伝を中心に」 |
「近代空間〈上野公園〉の表象-開園式に至るまで」 |
平成18/2006年度
「福田恒存の倫理思想」 |
「村上春樹にとってのアメリカ-『羊をめぐる冒険』を中心に」 |
「物「語り」の手法-芥川龍之介「藪の中」を読んで」 |
「詩の誕生-キーツの場合」 |
「ロバート・ウェストールのリアリズム-ティーンエイジャーのための児童文学」 |
「詩と音楽の融合-山田耕筰『黒船』を中心に」 |
「六本木ヒルズ 官民連携の戦略的都市開発」 |
平成17/2005年度
「丸山眞男における「フィクション」」 |
「椎名麟三『邂逅』論 ─ユーモアによる位置づけ」 |
「百済王氏の帰属意識に関する一試論 ─平安前期を中心として」 |
「肌の色を超えた個人」 |
「古事記における歌と恋 ─仁徳記を中心に」 |
「寺山修司作 映画『田園に死す』を読む」 |
「日夏耿之介におけるエドガー・アラン・ポオの受容 -「大鴉」を中心に」 |
「デカルト『省察』における自我論 ─ミシェル・アンリの思索を題材に」 |
平成16/2004年度
「明治期における脳、神経概念の形成」 |
「数寄茶の終焉」 |
「トヨタとキヤノンの生産方式の比較」 |
「谷崎潤一郎と「蛇性の婬」」 |
「斉藤緑雨の批評文」 |
「唱歌と童謡-大正・昭和初期における詞と曲の実態」 |
「沖縄からの「同化論」とそのゆくえ」 |
平成15/2003年度
「明治二十年代の禁酒運動-千葉県の事例を中心に」 |
「多面体としての蒔絵意匠」 |
「ジャン=ミシェル・バスキア、彼にとってのチャーリー・パーカー」 |
「幕末江戸戯作の展開-仮名垣魯文にみる「作者」の立場」 |
「徂徠学の「習」概念」 |
「岡本太郎「明日の神話」に見る宗教的主題:引き裂かれた聖性」 |
「政策としての隔離と体験としての隔離-ハンセン氏病患者隔離を例として」 |
平成14/2002年度
「『抱朴子内編』・『神仙伝』に見える神仙道の一局面」 |
「19世紀末イギリスにおける Anorexia Nervosa -症例と後期ヴィクトリア朝社会の関係について」 |
「近世日本の貧富観-上田秋成『貧福論』を中心に」 |
「親鸞における自然法爾」 |
「1876年の「サロメ」-ギュスターヴ・モローのイメージ源を求めて」 |
平成13/2001年度
「二重国籍者の行方」 |
「アレキサンダー・ドルナーを通じて見る美術館展示」 |
「直垂を禁じること-その台頭と着用制限について」 |
「中小都市における公共図書館の運営にみるサービス理念をめぐって」 |
「近代日本の人類学知-坪井正五郎の「人類学」構想を中心に」 |
平成12/2000年度
「荻生徂徠の政治社会論」 |
「中国帰国者二世・三世の対中国・日本意識とその変容-問題の本質と日本社会」 |
「竹内好論-「問題提起」の人の可能性と限界」 |
「西田哲学における「純粋経験」の概念と自己の問題」 |
「与謝野寛の和歌革新」 |
「川端文学の表現から読む思想」 |
「地方自治体の基本計画と住民参加-東京都三鷹市と長野県飯田市の事例から」 |
平成11/1999年度
「しりあがり寿における〈幻覚/リアル〉の時空」 |
「『古事記』世界における服装」 |
「日本映画の中の「日本性」と「国際性」」 |
「「アン現象」の比較文化的研究」 |
「富士谷成章『あゆひ抄』の言語観」 |
「近代日本人画家と〈越境〉」 |
「森田思軒の翻訳」 |
平成10/1998年度
「西洋の音楽および児童文学における「子ども」像」 |
「萩原朔太郎の定型律との格闘」 |
「初期天神信仰の成立」 |
「三島由紀夫におけるエロティシズムの問題系」 |
平成9/1997年度
「夏目漱石と「自己本位」」 |
「和辻哲郎の「倫理学-倫理思想史」体系」 |
「日本の企業フィランソロピーの現状」 |
「伊藤仁斎における否定性と乗りこえ」 |
「日露戦争と日本のキリスト者-内村鑑三の場合」 |
「マイノリティとしてのろう文化」 |
「平安時代における季節感の変容とその社会的背景」 |
「魯迅『阿Q正伝』原文とその日本語訳との比較」 |
「副島外務卿が見た維新外交」 |
「在米日系人のアイデンティティー問題について』(英文) |
平成8/1996年度
「歌舞伎「評判」の意識-野郎評判記から『役者口三味線』まで-」 |
「大井憲太郎と「輿論政体」」 |
「The Emperor and “Koto” in the Kojiki(古事記における天皇と「コト」)」 |
「〈原将棋〉の成立」 |
「入管法改正における日系人優遇の思想と背景」 |
平成7/1995年度
「森鴎外と十九世紀ドイツの学問観」 |
「人魚の木乃伊 -伝承と博物趣味」 |
「鹿鳴館」 |
「十五年戦争をどう教えるか-一九八二年の教科書問題をめぐって」 |
「阪谷朗廬に見る明治の儒学者」 |
「宮沢賢治の世界観とエマソン」 |
「日本のガネーシャ」 |
「能における身体技法の様式化」 |
「平田篤胤の思考の根拠について」 |
平成6/1994年度
「『後鳥羽院』以前の保田与重郎における近代日本批判」 |
「日本人の「南洋」観」 |
「現代日本児童文学研究-古田足日の子ども観と物語の二つの型」 |
「「華言」と「方言」」 |
「川久保玲の一九八○年代」 |
「西田幾太郎と〈近代の超克〉」 |
「開放後の韓国国民教育」 |
平成5/1993年度
「沖縄における土着信仰と外来宗教」 |
「Between Wonder and Antipathy - Western Views of Japan in the Late Nineteenth Century(驚嘆と反発の間で-幕末・明治の日本に注がれた欧米人のまなざし)」 |
「オリエンタリズム論」 |
「溝口健二の1930年代」 |
「岡倉天心とアジア主義」 |
「A Study of Bernard Leach(バーナード・リーチ研究)」 |
「有島武郎「宣言一つ」論争について」 |
「方定煥と児童文化運動」 |
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