東京大学比較文学比較文化研究室

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研究室紹介担当教員紹介大学院学部後期課程

比較文学・文化論集

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価格は、16 号までが 1 冊 200 円、17 号以降は 1 冊 600 円となります。

第 34 号 2017 年 3 月

丁 熹貞 「都市」への転向―― 一九六〇年代以降の安部公房の文学の変貌について
峰尾 俊彦 「批評」としての「演劇的想像力」――福嶋亮大『厄介な遺産』
   
特集企画 翻訳/トランスレーション
石川 真奈実 日本語を日本語に訳すということについて――円地文子訳『源氏物語』における「凄し」の訳を中心に
飛田 英伸 書記行為としての翻訳――幕末・明治初期の小説翻訳における文体選択を例に
石田 直輝 翻訳における二つの契機
川野 芽生 双方向の翻訳――ウィリアム・モリスの『ベーオルフの物語』
   
辛 重官 安部公房『壁――S・カルマ氏の犯罪』論――変貌してゆく作家の自画像
照井 敬生 British Film Policies in the 1980s and Transforming Role of Film
徳永 光展 原作と翻訳のすき間は埋められるか――夏目漱石『心』にみる日本文化の表現
早川 萌 外国論文紹介:アンナ・バルスカヤ「1861年のロシアの展覧会におけるエドゥアール・マネの絵画《ニンフとサテュロス》」

第 33 号 2016 年 3 月

太田 直樹 岩野泡鳴主幹雑誌『日本主義』第一巻調査報告
西田 桐子 ドキュメンタリー/記録芸術の「アクチュアリティ」――1950年代前衛技術運動における文学と映画の位相
   
特集企画 哲学とは何か――現代思想コースについて語る

梶谷 真司、中島 隆博、野矢 茂樹、古荘 真敬、林 少陽、
菅 健太郎、平井 良樹、宮田 晃碩、山﨑 毅朗、河合 隼雄

   
梶野 絵奈 明治10年「ライプチヒ博物館」から贈られた洋楽器――音楽による日独文化交流の黎明
二村 淳子 ベトナム人画家マイ・トゥの「アンティミテ」――絹画の縦糸と横糸
堀江 郁智 ジルベール・シモンドンの個体化論における伝統的個体観への批判について
梁 蘊嫻 村上春樹『ノルウェイの森』論――死生観とセックス描写とのかかわり

第 32 号 2015 年 3 月

飛田 英伸 「艶才春話」の世界――立志小説の誕生以前
茂木 謙之介 槐多の「悪魔」と一九一〇年代東京
山口 幸 ドナルド・デイヴィドソンの一人称権威論――命題的態度全般における信念の中心性をめぐって
   
特集企画 〈座談会〉手紙が伝えるもの
菅原 克也、田村 隆、松尾 梨沙、刀根 直樹、早川 萌、髙原 聡史、吉岡 悠平
   
二村 淳子 ラファエル・ペトルッチの「自然哲学」
早川 萌 イリヤ・レーピン《イクスクルの肖像》再評価への試論――帝政末期ロシアの貴婦人と画家の交流
小坂井 理加 アルビジョワ十字軍をめぐる言説とその形成――1209-1218年を中心に

第 31 号 2014 年 3 月

金 有珍 『幻夢物語』内閣文庫本の底本に関する小論
林 淑丹 記憶の中の日本――台湾映画『海角八号』『一八九五』『セデック・バレ』を例として
高柳 和美 【書評】藤山直樹著『落語の国の精神分析』
OKUHATA Yutaka The World of Fragility : Victims and Persecutions in Golding’s Lord of the Flies and Other Early Works
ピエール・ボネールス、森永 豊 大森荘蔵の論理学の哲学――論理学における必然性とその経験的性格
楊 力 1920年代中国における女性知識人の葛藤――『女生・婦人』をめぐって
特集 なぜ研究をするのか
菅原 克也 私はなぜ研究者になったのか
田村 隆 「正解」の先へ
古荘 真敬 書かれざるものに促されて
木元 裕亮 言葉の不在を持ち堪えること、固有な言葉を待ち望むこと
趙 アラ 生きること、文学を研究すること
長畑 俊道 師を仰ぎ見る
古舘 遼 「反」芸術を掘り返すために

第 30 号 2013 年 3 月

太田 直樹 風葉「耽溺」と泡鳴「耽溺」比較――語り手の違いから
松枝 佳奈 「民衆」を描く観察と感情の芸術家――明治末期・大正期日本におけるイリヤ・レーピン《ヴォルガの船曳き》への反響
岡野 宏 1930年代の音楽雑誌における匿名批評の問題――『音樂世界』と『月刊樂譜』を中心に
SAITO Midori After Wide Sargasso Sea : Cliff, Condé, and Senior
實谷 総一郎 前進する言説 ――エミール・ゾラ初期美術批評の位置づけと構造解明への試論
中澤 拓哉 現代日本のサブカルチャーにおける(旧)ユーゴスラヴィア地域への表象とイメージ――紛争・ノスタルジア・サライェヴォ
朴 恩恵 芥川龍之介『藪の中』論――真砂の心理的葛藤を中心に
橋本 良一 「夜鶯に囲まれたスウィーニー」と不吉な予感
古舘 遼 【展覧会評】「リサイクルリサイタル」と「解剖と変容」
山岡 利矢子 「和解」について
Lee Shaw "Hungarian Identity" and the Music of Franz Liszt
特集 私の家庭内言語環境
千代田 夏夫 鹿児島と私
鄭 玹汀 「国語としての日本語」を乗り越えるには
朴 恩恵 私の家族のコミュニケーション
ヘルマン・ゴチェフスキ 私の家庭の言語環境

第 29 号 2012 年 3 月

岩下 弘史 特異な「遊び」――『それから』における代助の行動原理とその限界
箱崎 緑 日中戦争期における『三国志演義』再話の特色
栁田 大造 円柱の叢林を抜けて――アレホ・カルペンティエールとバロック都市ハバナ
Lee Shaw Franz Liszt's National Identity from Viewpoint of His Activity in Weimar Era : Was He Actually a German Nationalist?
石川 洋行 アレクサンドル・スクリャービンと共感覚
イルマ・サウィンドラ・ヤンティ 本居宣長の「物のあはれ」の形成――相良亨説・田原嗣郎説をめぐって
木瀬 康太 戦時下日本におけるキェルケゴール受容――クリスチャンの知識人の活動を中心に
齋藤 達也 エドゥアール・マネ没後のカリカチュア
辻河 典子 現代ハンガリー・ナショナリズム試論 : 2010年のカーロイ・ミハーイ像をめぐる論争から
特集 東日本大震災を語る――比較文学・比較文化の視座から
ヘルマン・ゴチェフスキ 東日本大震災と今後の課題
菅原 克也 体験への畏れ

第 28 号 2011 年 3 月

梁 蘊嫻 歌舞伎の世界における関羽の受容
李 芙鏞 女三宮における朱雀院――父親の過度な愛情
栁田 大造 テクストの快楽(けらく)――セベロ・サルドゥイ『マイトレーヤ』論
陳 萱 北原白秋の見た植民地台湾――華麗島への憧憬と異郷への反撥
特集「恋愛」の読み方
松枝 佳奈 『初恋』の味わい
山崎 はずむ 童貞と良心――『ドグラ・マグラ』を中心に
山本 嘉孝 少年と媼(おうな)の絆――映画『ハロルドとモード』に恋をして
川澄 亜岐子 ラフカディオ・ハーンの〈死女の恋〉―― A Passional Karmaと『牡丹燈籠』、『クラリモンド』を中心に
許 欣斐 『サンザシの恋』をめぐる論争について

第 27 号 2010 年 3 月

李 世淵 南北朝時代における怨霊鎮魂問題と足利将軍家の位相
趙 慶 謡曲《夕顔》の成立をめぐる一考察
井上 博之 生きのびた者たちの物語――コーマック・マッカーシー『老いた者の住む国ではない』における戦争と死者の記憶
北村 紗衣 孤独とミソジニー――岡田利規演出『友達』
SAITO Midori Positioning Jean Rhys's Wide Sargasso Sea in her Contemporary Caribbean Counterparts
瀧内 陽 ウェストール『海辺の王国』とホランド『顔のない男』における擬似父子関係――父性愛と少年愛
塚田 雄一 世継ぎのない王 ――『マクベス』における父性の表象
堀江 秀史 寺山修司研究の現在――没後25周年を経て
吉田 未央 バレエリュス『春の祭典』の受容――ジャック=エミール・ブランシュ『1913年の芸術的総括』分析
特集 留学体験記
寺田 寅彦 外国人留学生としての私のフランスでの生活
佐藤 光 己れの翼で翔ぶならば
四方田 犬彦 留学の効用について
劉 岸偉 私の留学体験記

第 26 号 2009 年 3 月

李 世淵 承久の乱――転回する怨霊鎮魂問題と鎌倉武士の心性
有信 真美菜 トマスィン・フォン・ツィルクレーレ(Thomasin von Zerclaere)の『イタリア人客(Der wälsche Gast)』における「歴史叙述」
北村 紗衣 おネエと女とフリークス――『お気に召すまま』と『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』
木瀬 康太 三土興三の「酔歌」――大正期におけるキェルケゴール受容の一例
小林 将輝 旅行記述の身体性と歴史性――エリアス・カネッティ『マラケシュの声』における異国体験の叙述形式について
杜 洋 国学者上田秋成の儒仏観――史論『遠駝延五登』を中心に
特集 続「先達からの声」――研究者として生きる
平川 祐弘 比較研究者として
竹内 信夫 テクスト空間の夢想
門脇 俊介 哲学は趣味だった
中村 和恵 新しい極地へ
金沢 百枝 茫洋たること

第 25 号 2008 年 3 月

李 賢晙 「樋口一葉」を巡る言説空間――『青鞜』を中心に
蔡 暉映 成長物語としての『銀河鉄道の夜』――ジョバンニとカムパネルラ
手島 崇裕 北宋の仏教界と日本僧成尋――その人的交流と異国僧としての役割について
水野 達朗 木下杢太郎『朝鮮風物記』の位置
柳 周希 浮舟の身に刻まれる言葉――浮舟巻「つれづれと身を知る雨」の一首をめぐって
森山 至貴 素通りされるクィアネスを再び擁護するために――絲山秋子『エスケイプ/アブセント』をクィアに読む
前田 佳子 アンリ・カルティエ=ブレッソンのバリ島
孫 敏 柳田国男の「国家論」試論――農政学から民俗学への転換における一体説のもう一つの解釈
北村 紗衣 雅にして強かなる罠――『アントニーとクレオパトラ』における紳士の形成の危機
特集 「先達からの声」――あの頃を振り返って
今橋 映子 雑誌という紐帯――発刊二十五周年に寄せて
小谷野 敦 東大比較の風雲時代
佐伯 順子 まさに梅が丘
菅原 克也 昔がたり――エクスプリカシオン・ド・テクストについて

第 24 号 2007 年 3 月

特集 駒場比較文学名著再読
小泉 順也 【書評】島田謹二『ロシヤにおける広瀬武夫——武骨天使伝』
三ツ野 陽介 【書評】菊池栄一『唱和の世界——ゲーテ『西東詩集』理解のために』
信岡 朝子 【書評】富士川英郎『失われたファウナ——消間詩話』
南 相旭 【書評】佐伯彰一『物語芸術論——谷崎・芥川・三島』
林 久美子 【書評】芳賀徹『絵画の領分——近代日本比較文化史研究』
金 成恩 【書評】平川祐弘『マッテオ・リッチ伝』
金 暁美 【書評】亀井俊介『近代文学におけるホイットマンの運命』
三ツ野 陽介 【書評】新田義之『木下杢太郎』
伊藤 由紀 【書評】小堀桂一郎『若き日の森鷗外』
水野 太朗 【書評】川本皓嗣『日本詩歌の伝統——七と五の詩学』

伊藤 由紀 評伝浦瀬白雨——イマジズム詩の翻訳紹介の功績を中心に
金 暁美 李殷相「詩人휘트맨論(詩人ホイットマン論)」の比較文学的考察
金 嬛鏡 大江健三郎の小説と〈女子大学生入れ〉——「救済」の手段としての〈女子大学生〉
水野 達朗 田山花袋『満鮮の行楽』の戦略
北村 紗衣 歪んだ王冠と道化——クレオパトラの死と女王の二つの身体

第 23 号 2006 年 3 月

(在庫切れ)
大澤吉博先生追悼文
李 京僖 保田與重郎の批評家小説——「やぽん・まるち」
佐々木 悠介 【展覧会カタログ評】「横須賀功光の写真魔術『光と鬼』」展
和田 佐規子 明治の表現力——矢野龍渓「両文体」論に関する一考察——
于 天禕(イ) 『南京の基督』から見る芥川龍之介の近代観
王 新新 初期大江の文学受容——中国における大江文学の受容を見直す一考察——
深見 麻 【書評】下嶋哲郎『サムライとカリフォルニア——異境の日本画家 小圃千浦』
前島 志保 「日本文学の一大災阨」から「自由詩」へ

第 22 号 2005 年 3 月

有信 真美菜 トマスィン・フォン・ツェルクレーレ(Thomasin von Zerclaere)の『イタリア人客(Der wälsche Gast)』——中世の教育詩の一例
小泉 順也 エドモン・ド・ゴンクールと印象派の画家たち——絵画と美術品をめぐる美意識
黄 鎬徳 鹿鳴館の朝鮮儒者——朴戴陽の見た一八八四年の東京、表象の近代をめぐって
川口 恵子 ナショナル・シネマの研究動向
特集 「比較」とは何であったのか
川島 健 比較文学の地政学——プラネッタリなものとグローバルなもの
Cathy P. Steblyk What Death? To a Future Reader from the Past
曽我 晶子 「世界文学」の理念再考——エーリッヒ・アウエルバッハの「世界文学の文献学」について
デニツァ・ガブラコワ 綱渡り芸人の夢——スピヴァク、柄谷行人、島田雅彦との対話
信岡 朝子 ICLA 香港大会についての私的な感想
水野 達朗 国際比較文学会香港大会の印象
こだま——学生の声

第 21 号 2004 年 3 月

安 眞姫 未刊詩の中の中原
曽我 晶子 ジゼル・フロイントの作家ポートレート——写真によるもうひとつの二十世紀文学史——
千代田 夏夫 虚構と現実——F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』におけるパフォーマンスと人間性
水野 達朗 「非連続」の詩学
村瀬 甲治 ノオトの上の粉、テクストの粉末——尾崎翠「第七官界彷徨」試論——
尤 海燕 和歌の四要素論——『古今集』両序の歌論をめぐって——
和智 右桂 「イロニー」の開かれた関係性への射程
児嶋 由理 ‚Kultur' und ‚Zivilisation' in der Publizistik von Ernst Troeltsch, Friedrich Meinecke und Thomas Mann während des Ersten Weltkrieges

第 20 号 2003 年 3 月

竹内 信夫 【20号記念企画】巻頭言 20号記念に寄せて
深見 麻 【20号記念企画】『比較文学・文化論集』という広場
バックナンバー目次一覧
安 英姫 「蒲団」における告白言説——語りの視点と内面——
五十嵐 泰正 「下町」という意味システムの持つ両義性
荻野 哉 ラスキンと唯美主義
田代 尚路 空間を読む——E. E. カミングスのタイポグラフィについて——
朴 南圭 『松浦宮物語』に現われる「孝」について
黄 善英 揺動と不動——中西伊之助の「不逞鮮人」と「北鮮の一夜」——
福田 武史 【書評】「語り」論覚書——三浦佑之氏『口語訳 古事記』書評——

第 19 号 2002 年 3 月

王 新新 大江健三郎における中国——1960年中国旅行をめぐって——
小田桐 拓志 柄谷行人と西田幾多郎(二)
児島 由理 【書評】奥波一秀『クナッパーツブッシュ——音楽と政治——』(みすず書房、2001 年)——
朴 南圭 『松浦宮物語』の作品世界と話型
朴 洪仁 立原道造と内面への眼差し——「新しい言葉」を探して——
マーガレット・キー 安部公房の『他人の顔』とカルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』における「仮面」の役割について
水野 達朗 「心相」考——賢治文語詩の一断面——
ガーデナ 香子 Phantasy and body, or seeing and touching: Visual arts practices in Fanonian spaces

第 18 号 2001 年 3 月

大東 和重 技術批評を超えて——島崎藤村『破戒』・表層と深層——
小田桐 拓志 柄谷行人と西田幾多郎(一)
ガーデナ 香子 〈文化〉の落とし穴、あるいは文化を考察し記述することについて
児島 由理 ニーチェとマラルメ——ヴァーグナーと「大衆」或いは「群衆」概念の問題——
辛 在仁 『住吉物語』と『夜の寝覚』——設定の類似と新しい主人公像の創造——
永井 久美子 弟(おとうと)の王権——『彦火々出見尊絵巻(ひこほほでみのみことえまき)』製作背景論おぼえがき——
日高(江口) 優 写真読解試論——「記録と記憶」ウォーカー・エヴァンズの一枚の写真を手掛かりに——
前島 志保 日系社会を超えて——‘And the Soul Shall Dance’ の短編と戯曲——
水野 達朗 照井氏所蔵『エマーソン論文集 上巻』の「宮澤トシ肉筆メモ」
安井 正寛 何が我々を永遠平和へと導くのか——カント『永遠平和に向けて』における移行の問題——
鈴木 禎宏 セインズベリー日本芸術研究所所蔵 バーナード・リーチ旧蔵書コレクションについて
川島 健 「死んだ声」に抗して——『ゴドーを待ちながら』試論——

第 17 号 2000 年 2 月

李 敬恩 植民地朝鮮文学の東京表象——朴泰遠(パクテウォン)の「三日空き腹、春の月」をめぐって——
李 市埈 『今昔物語集』本朝世俗部の構成の問題——巻二六以後における仏法への傾斜に対する位置づけ——
大東 和重 読むことの規制——田山花袋『蒲団』と作者をめぐる思考の磁場——
川口 恵子 物語と女性性——『緋文字』と『ビラヴド』の相互テクスト性——
貞包 英之 言語・資本・土地——一九〇〇年前後日本における『金色夜叉』の受容について——
中山 みどり ヤコブ・ベーメにおける悪の思索——形而上の悪と人間——
信岡 朝子 『花物語』と語られる〈少女〉——少女小説試論(一)——
林 淑丹 森鷗外『雁』と『虞初新志』の「大鉄椎伝」
井上 征剛 【書評】アメリカ児童文学研究プロジェクト編『アメリカの少女たち——少女小説を読む——』
中西 恭子 【書評】松村一男著『神話学講義』

第 16 号 1999 年 2 月

李 市埈 『今昔物語集』巻二十六・宿報譚の意義を巡って
江口 優 写真における眼差しの問題——ウォーカー・エヴァンス『アメリカン・フォトグラフス』を巡って——
ウイリアム・O・ガードナー 詩と新メディア——萩原恭次郎の「広告塔!」を中心にした一九二〇年代のアヴァンギャルド論考——
小嶋 千明 芥川龍之介と西洋絵画——内容と形式を巡る葛藤——
児島 由理 〈文化〉対〈文明〉——第一次世界大戦における独仏知識人の言説戦争——
朴 眞秀 物語研究における「構造」の概念——作者と読者のかかわり方——
村上 靖彦 主観性の現象学的場所論へ向けて——レヴィナス『全体性と無限』とハイデガーの『アンティゴネー』読解——

第 15 号 1998 年 5 月

ギジェルモ・クアルトゥチ
(宇佐川佳子訳)
一九世紀の終わりに日本を訪れたあるメキシコ人の記録
栗原 浪絵 遠藤周作『沈黙』に託されたもの——「沈黙」のオーケストラ——
澁谷 智子 マイノリティとしてのろう文化——聞こえないことをどう捉えるか——
豊口 真衣子 佐野乾山事件とバーナード・リーチ
野田 由美意 パウル・クレーの絵画とタイトルの関係
村上 靖彦 反省の発生的構造——現象学的還元と分裂病における同時的内省の起源としての非志向的意識について 〜フィンク、レヴィナス、長井真理=木村敏をめぐって——
廖 建宏 日本文学の翻訳——三島由紀夫『春の雪』の中国語訳について——

第 14 号 1997 年 5 月

赤塚 若樹 チェコ・シュルレアリスムの歴史的概観——1918 年から 1948 年まで——
大東 和重 国民の肖像——魯迅の「車夫」と国木田独歩の「山林海浜の小民」——
杉原 正子 宮沢賢治とウォルター・スコット——比較詩学へのノート——
鄭 長勲 東アジアにおける「進歩」の誕生
馮 寶華 梁啓超と日本——福沢諭吉の啓蒙思想との関連を中心に——
水野 達朗 「自然主義的表象詩」の成立とエマソン受容

第 13 号 1996 年 10 月

李 秉鎮 大正時代のある対話精神——浅川巧の日記公開を巡って——
高桑 和巳 No More Annotated Alice: tentative dé-constructrice pour et/ou contre Lewis Carroll
花方 寿行 幻想文学論序説( II )——幻想的テクストについて——
松井 貴子 「君死にたまふことなかれ」と、その後——与謝野晶子と戦争——
村上 靖彦 「近しい人々の思い出に」レヴィナスと他者の死への沈黙
平石 典子 La Vision de l’Autre : les Japonais chez Pierre Loti et L’Enfant de Volupté
當間 千代子 Japonisme in Dispute: Visual Discourse and Cultural Representation in Late Nineteenth-Century French Art

第 12 号 1996 年 2 月

前島 志保 児童観史の中の方定煥
傅 澤玲 日本留学と日本人教習——一九一〇年代を中心に——
松井 貴子 「死」とその周辺——実篤・漱石・直哉——
翁蘇 倩卿 上代特殊仮名遣「コ」の甲乙二類辧
安田 敏朗 基礎日本語の思想——戦時期の日本語簡易化の実態と思惑——
李 市埈 『今昔物語集』巻二十四の考察——出典との比較から見た編者像——
西原 大輔 A Novel of Uchida Roan and its Colonialism: Ambitions of Establishing a Settlement in Mexico

第 11 号 1995 年 3 月

傅 澤玲 明治三〇年代における立身出世論考——『成功』を中心に——
加藤 百合 明治期露西亜文学翻訳攷(二)『クサカ』
花方 寿行 幻想文学論序説——現実と幻想との境界について
松井 貴子 志賀直哉の文学環境
西原 大輔 芭蕉発句試論——「池をめぐりて」——
李 市埈 『今昔物語集』巻二十二、巻二十三の考察——評語に現れた編者像を求めて——
金 敬姫 摂関時代の説話における浄土信仰の諸相——『日本往生極楽記』『大日本国法華経験記』を中心として——
朴 一昊 万葉集反歌小考——長歌との対応様相をめぐって——
根布 厚子 エスニシティとマンダリン——シンガポールにおける中国系住民の場合——

第 10 号 1994 年 11 月

ニナ・ユイ・デ・長谷川 児童文学の育つ条件 メキシコの場合
君野 隆久 宮沢賢治『春と修羅』瞥見——コロイド空間の行方——
テレングト・アイトル(艾特) 海、太陽への問いと諦め——森鴎外の『妄想』を巡って——
松井 貴子 志賀直哉の「母親達」
崔 妍 日・韓近代小説に現れた青年像——夏目漱石の『三四郎』と李光珠の『無情』を中心に——
金 光林 『霊異記』における渡来人像と朝鮮観について
李 建志 「東学」の近代化
加納 香 ペリー提督のピクチュアレスク・トラベル——ペリー提督『日本遠征記』に描かれた日本と中国——
西原 大輔 サマセット・モームのシンガポール
西川 正也 ネルヴァル『シルヴィ』における色彩に関する一考察

第 9 号 1992 年 7 月

高木 繁光 オシップ・マンデリシュタムのゲーテ像
西原 大輔 江戸時代の中国語研究——岡島冠山と荻生徂徠——
君野 隆久 衣の裏の宝珠——道元における『法華経』譬喩譚解釈——
西川 正也 詩人・堀口大學とジャン・コクトー詩——コクトー・モチーフの展開——
ニナ・ユイ・デ・ハセガワ メキシコの版画師ポサダと江戸の版画
加藤 百合 КОНРАД В ЯПОНИИ

第 8 号 1991 年 6 月

高木 繁光 ヘルダーリンの讃歌『あたかも——祝祭の日に…』——詩人の使命をめぐって——
椎名 亮輔 ナティエの音楽記号学をめぐって
菅原 浩 シェリーと死と宇宙——文学と「叡智」の伝統について——
張 洧(ユウ) 黄遵憲における日本理解の序幕
田中 雅史 北村透谷とコールリッジの詩に見られるイニシエーション的構造
小谷野 敦 近代日本というマクベス
崔 官 「壬申倭乱」の記録に現われた「天」の特性——『懲芯録』と『太閤記』を中心に——
菅原 克也 人魚について
小澤 萬記 恐怖小説としての『黒いクモ』
中村 和恵 Psychological Dynamics of the Desert in Voss

第 7 号 1989 年 12 月

林 容澤 谷崎潤一郎『芦刈』——複式夢幻能として——
菅原 浩 古代の詩と世界の謎について——万葉集巻17−3896の歌を中心に——
増田 裕美子 角とマント
松田 伸子 【書評】村上陽一郎編『現代科学論の名著』(1989年)
西原 大輔 芭蕉発句考——「旅に病で」の句をめぐって——
猪俣 賢司 Formation de l’épigramme en France : Un aspect de l’art poétique français au XVIe siècle
同人近況報告

第 6 号 1989 年 5 月

山口 惠三 専門主義の野蛮性について(一)——現代哲学に於ける「知」と技術との背反——
三浦 俊彦 風雅のパラドクスと芭蕉——「枯野をかけめぐる」ものの考察——
東 聡 【書評】廣松 渉著『新哲学入門』(1988年)
稲賀 繁美 言葉と映像研究第一回国際会議報告
増田 裕美子 「老いらくの恋」・東西の系譜(三)
菅原 浩 兄妹婚伝承と〈妹〉の深層
家田 貴子 【書評】市川定夫『新公害原論』(1988年)

第 5 号 1987 年 11 月

増田 裕美子 シェイクスピアと老い
村上 孝之 プーシキンの『石の客人』——改心した騎士——
猪俣 賢司 ロンサールとオウィディウス——『転身物語』受容の一断面——
今野 喜和人 本居宣長における言と意——日本語の「脱自然性」を手がかりに——
三浦 俊彦 事実の錯誤と法律の錯誤(一)——二つの大審院判例から脱構築論争へ——
牛村 圭 父のない子と子のない父と
千葉 一幹 まなざしの変貌——白秋から恭次郎へ——
椎名 亮輔 世阿弥の音楽概念に関する試論——「調子」をめぐって——
小澤 万記 ルカーチの映画理論(一)——「映画美学考」から『美的な物の固有性』へ——
山口 惠三 【書評】三島憲一著『ニーチェ』(一九八七年)
今橋 映子 ロマン・ロラン『内面の旅路』試論
Ohnuki Tohru Une Réflexion sur le mot “liberté”

第 4 号 1986 年 12 月

増田 裕美子 「老いらくの恋」・東西の系譜(二)
劉 岸偉 俳人蕪村と詞
佐伯 順子 イェイツ・三島・能——演劇表現における「近代」と反「近代」——
山口 惠三 アトミズムの東西(二)——古代中国に原子論は存在したか——
小倉 泰 カルナの出生譚——訳注(下)
Shiina Ryosuke Chopin et le Regard de Dommel-Dieny
Ozawa Kazunori Der Begriff des Körpers bei Béla Balázs —— Im Zusammenhang mit Lukács’ “Gedanken zu einer Ästhetik des Kinos” ——
小沢 万記 弔辞・瓜生研二さん追悼

第 3 号 1986 年 5 月

増田 裕美子 「老いらくの恋」・東西の系譜(一)序論——「老い」の比較文学
松浦 俊輔 物語の受容——芥川の「再話」をめぐって——
玉川 裕子 明治日本と西洋音楽——制度史からみた「美的受容」の成立——
川原 真由美 反・望郷の歌——寺山修司『田園に死す』
山口 惠三 アトミズムの東西(一)——古代中国に原子論は存在したか——
三浦 俊彦 ラッセルとベトナム戦争——倫理の核時代——
小倉 泰 カルナの出生譚——訳注(上)
崔 仁勲
(李応寿訳)
昔々 フォーイフォイ
Ohnuki Tohru Qu’est-ce que “l’exotisme”?

第 2 号 1985 年 9 月

小堀 桂一郎 ハムレットと眉輪王と
大久保 美春 インドにおける天心——『東洋の理想』「アジアの覚醒」再考——
有馬 良之 二十年代の三木清
三浦 俊彦 結ぼれ、了解、異文化、鼠——R. D. レインの視線——
牛村 圭 永遠の若さをもとめて——『山の音』を読む——
小沢 万記 『平行』の翻案について
瓜生 研二 リルケに於ける始源遡行モチーフ
Ohnuki Tohru Une petite étude sur la philosophie du langage de Merleau-Ponty

第 1 号 1985 年 3 月

芳賀 徹 「南に窓を」——金素雲の訳詩一篇
大貫 徹 自伝に於ける「自己なるもの」についての一考察
瓜生 研二 鷗外のイプセン観の構造
古田島 洋介 『唐物語』第十話原拠再考
村上 孝之 「情」の運命——『花柳春話』をめぐって——
川原 真由美 疎外されし者たちの群像——現代の寓話 Oublier Palerme——(『忘却のパレルモ』)
瓜生 研二 カフカの動物存在の変容と詩的自我
小沢 万記 表現主義演劇と小山内薫

 

 
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