講師: 松村昌家(大手前大学名誉教授)
講演要旨:
Bulwer Lytton の Ernest Maltravers が1878年(明治11)年に丹羽純一郎によって『花柳春話』という題で翻訳された。日本における最初の西洋小説の翻訳として大きな影響力をもたらしたが、私が最も注目したいのは、この小説が「人情小説」として受け入れられたこと、そして逍遙の「小説の主脳は人情なり」という認識がここから始まっているということである。Ernest Maltravers が、実はゲーテの流れを汲むビルドゥングスロマンとして意図された作品であることを思えば、逍遙の受け取り方との間には、明らかにねじれ現象があった。その観点に立つと、のちに漱石が打ち出した「非人情」を意識せざるを得ないのである。漱石は非人情小説としての『草枕』を書き終えたあと、「純人情的」小説の創作に立ち向かうことを明かしている。その流れはあたかも、逍遙の「人情」論に対するアンティテーゼからジンテーゼに至るプロセスのように思えるのである。