担当教員:井上 健
徴候として表面に散らばっている、些細な、断片的な痕跡を丹念に読み解いて、意味の深みに到達する鍵を見出していくこと。単なる演繹でも帰納でもない、想像力・直感・情動による仮説構築を出発点とする分析法・推論法に依拠すること――近代探偵小説を定礎したエドガア・ポオの探偵デュパンが、「モルグ街の殺人」(1841)、「盗まれた手紙」(1844)において採用している主たる推理方法は、とりあえずこの2点に要約することができる。後者の仮想構築を出発点とする思考法は、パース、エーコなどの記号論者によって、abduction(遡行法、仮説的推論)と名づけられた。19世紀中葉に確立された探偵小説という小説ジャンルが改めてクローズアップした、こうした古くて新しい推論パラダイムあるいは認識論的モデル(これを《探偵知》と呼ぶこととする)は、19世紀後半、歴史学、心理学、社会学などをはじめとする人文系諸科学において、個々の兆候を追い求め、観察し、認識して、真実に達する方法として、あらためて有効に機能していく。
あたかも、探偵の推理の起点、推理・捜査のプロセス、到達点が、探偵小説という固有の虚構ジャンルとして造形されるがごとくに、様々な学問や知の営為は、それぞれ何をもって推論の出発点とし、いかなる推論のプロセスをたどり、いかようにして終着点と思しきものに到達し、その結果をいかに記述していくのか。以下のスケジュールで、諸学問分野の認識論的モデル、推論の出発点、推論の方法、結果の記述方法などを具体的に示し、広く《探偵知》の可能性について、さらには、各学問分野に固有の問題、分野間の差異などについて、ともに考え、議論していきたい。