担当教員:齋藤 希史
日本を意識する、とはどういうことでしょうか。たとえば、日本の伝統とか日本の文化とか一口で言っても、その多くが、いわば歴史の後知恵で再構成ないし創造されたものだ、というのは今日ではほとんど常識になっている感すらあります。ともすれば日本らしさなるものに実体を求めてそれに寄りかかりかねない時代に生きるわれわれにとって、そういった再構成や創造のメカニズムについて語りつづけることは重要です。けれども、議論の上っ面をなぞって、日本の伝統なんて後から作られたものなんだ、という認識を得ただけで終わってしまうのでは、固定観念のメガネを新調しただけになってしまいます。
この授業では、そうした議論を踏まえた上で、さまざまな時代・テクスト・人物において日本なるものが意識された局面、あるいはわれわれが日本なるものを意識しうる局面を浮かび上がらせ、日本を意識するとはどういうことだった/であるのか、具体的ケースに則して考えます。アプローチには大きく二つ──比較文化論と日本文化論が想定されますが、通りいっぺんの比較論や日本論をするつもりはありません。比較文化論的アプローチを取るときは、異なる文化を対比させて相互の違いを固定するのでなく、むしろ接触と混淆のなかから新たな何かが生まれた瞬間を捉えようとします。日本文化論的アプローチを取るときは、文化の独自性や一貫性に固執するのでなく、大陸の東に展開する列島地域が文化のフィールドとしてどのようなダイナミズムを得たのかを考えようとします。
毎週が刺激的な議論の連続になるでしょう。積極的な参加を歓迎します。