比較文学 比較文学研究は、国民文学単位の文学研究に対し、
これを補いかつ拡充するものとして、フランスに起こった。
それは一国文学の研究を補完するものとして構想され、やがては広く文学一般、
ゲーテの言う「世界文学」研究をも志すものとなった。例を日本文学に引くならば、比較文学研究とは、日本文学を中国古典文学や欧米文学との関係のもとに研究し、さらには世界文学の文脈のなかに解き放とうとする試みであると言える。
比較文学研究は、自国文学と外国文学との関係を、もっぱら影響という相の下に明らかにしようとする立場と、対比という操作に拠って、それを一般文学、世界文学に開いていこうとするものとに大別される。前者は実証的な文献研究として今も比較文学研究の中核をなし、後者はその一般化への志向において、文学理論研究に包摂されつつあるのが現状である。
かつて、欧米文学への指向が強かった比較文学研究は、いま大きく姿を変えようとしている。アジア諸国の文学、とくに中国や韓国の近代文学に対する関心の高まりが、近年の比較文学研究の著しい特色である。アジアの地域的広がりと言語の多様さを見据える比較文学は、21世紀比較文学研究の在り方を指し示すものとして、あるいは、東アジア学の根幹を成すものとして、豊かな可能性を秘めている。
また、従来、欧米文化の受容研究が大きな比重を占めていた比較文学研究のスタイルも、今また修正を迫られている。日本やアジアの文学・芸術が、世界に受け容れられていく有様を、従来の「受容」に代わる「発信」という、方向を異にする形で研究していくことの重要性が認識されているのである。
欧米における比較文学研究は、良くも悪くも、文学理論研究の色彩が濃厚である。ことに近年強調されているのは、文学研究を文化研究との連関のもとに考えようとする立場である。あわせて、異質で多様な文化を、安易に一元化することなく、その様々な在り様に寄り添いながら理解することも求められている。実はこれは、われわれが研究室発足の当初から絶えずその重要性を訴えてきた方向性であった。わが研究室が自らの学問を、「比較文学」ではなく、「比較文学比較文化」と呼び慣わしてきたのは、このような意志を反映させたものである。
文化的多様性を念頭に置く文学研究においては、ある固有の文学伝統を、異なる文学伝統との比較対照のうちに考察しなくてはならない。それは、しばしば相互理解の困難な複数の文学伝統を、共通の用語法によって記述するという作業を必要とするであろう。これもまた、今日、比較文学研究に要請されている営為の一つである。
比較文学のプログラムは、複数の外国語の習得を暗黙の前提としている。外国語を読みかつ聞き、外国語で書き、語る能力は、比較文学を志す者には必須のものである。その上で、複数の異質なものに豊かな想像力を働かせ、瑞々しい感性でこれを味解することが求められるのである。
われわれのプログラムには、東アジアの文学的相互交流や、欧米文学のアジアへの影響、日本をはじめとするアジアの文学の世界への波及といった影響研究もあれば、ヨーロッパに発生した種々の文芸思潮の研究、文学的テクストを手がかりとした文化研究、異なる文学伝統を視野に収めた詩学研究、文学理論研究などが含まれている。いずれにおいても、テクストを味読し、仔細に読み解いていく姿勢が尊ばれていることは言うまでもない。
最新の参考文献については、次の書誌を参照されたい。
[書誌]
「比較文学・比較文化研究書誌」
主要授業紹介
- 明治大正の英詩受容を考える
- 翻訳文学を考える
- 戦後文学再検討
- 日本幻想文学の研究
- 新感覚派文学の研究
- (Post)Colonial Subjects in World Literature
- 文学にあらわれた「アメリカ像」
- 現代中国における審美主義
- William Blake を読む
- Edgar Allan Poe を読む
- 萩原朔太郎を読む
- 林語堂を読む
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