東京大学比較文学比較文化研究室

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研究室紹介担当教員紹介大学院学部後期課程

学位論文一覧

修士学位論文題目一覧(平成時代/1989~2018年度)

平成30/2018年度

「丸谷才一における「伝統」と「小説」-その文芸評論と小説作品の連関について」
「一高『校友会雑誌』にみる思潮の転回-「元気」、「煩悶」、文体をめぐって」
「アンリ・マティス、1905年の肖像画-テーマと技法からの再考」
「明治期基督教聖歌における音楽的聖歌韻律論 短歌体音数律を中心に」
「サルトルにおける「アンガジュマン」の問題-その理念と文学的実践」
「ポール・リクールの隠喩論-隠喩の「存在論的機能」をめぐって」
「転換期における中国先鋒派作家余華」
「『今天』(1978-1980)小説研究-1970年代末の「傷痕文学」を視野に」
「物語としての団地-後藤明生と朴婉緒の作品を中心に」
「陳舜臣初期作品研究-『枯草の根』、『怒りの菩薩』、「青玉獅子香炉」を中心に」
「異化する視線-萩原朔太郎と視覚芸術」
「出発期の池莉-「日常生活」に辿り着くまで」

平成29/2017年度

「ベルクソン哲学における直観の問題」
「トマス・ネーゲルにおける人生の意味」
「ボッチョーニ《立ち上がる都市》再考-未来派以前のイラスト作品の再評価を通じて」
「ゴッホ、遅れてきたロマン主義者-《詩人の庭》再考」
「不同意を真剣に受けとめる-不同意の認識論における同等比重説の擁護」
「『唐土名勝図絵』の編纂過程-「唐土」と清国のあいだ-」
「ジャン=バティスト・カミーユ・コロー《ソドムの大火》再考-サロン出品と生成過程を手がかりに」
「ドゥルス・グリュンバインの万華鏡的想起-『動物園の年月 万華鏡』を中心に-」

平成28/2016年度

「近代日本における彫刻の概念について-高村光太郎の芸術論と同時代の木彫作品」
「ジャン=ジャック・ルソーにおける名誉と孤独-人間学と政治思想の統一的読解」
「自由の現象学-メルロ=ポンティによるサルトル批判の再検討-」
「世阿弥における書くという行為について」
「7世芳村伊十郎の録音全集と長唄の「近代」-「文化」を語る正統性をめぐって-」
「ハイデガー『存在と時間』における他者問題の再考-和辻『倫理学』の視座と「信頼」の現象を手がかりに-」
「道徳的客観主義と「不一致からの論証」」
「陳抱一研究-東京美術学校留学生から近代中国の洋画家・美術教育者へ-」
「江戸川乱歩と検閲-「芋虫」の伏字と削除処分」
「菊と砂漠-明治期日本人旅行記にあらわれたペルシア観」

平成27/2015年度

「巫女の秘密-円地文子の小説における幻想の淵源」
「ウィリアム・モリスの『ウルフィングの一族』とJ.R.R.トールキンの『指輪物語』-中世主義的ファンタジー文学における過去への夢と未来への展望」
「戦前・戦中のスターリン時代におけるタシケントの西洋音楽文化建設(1930~1945年)」
「メディアにおける大逆事件-総合雑誌『太陽』の言論戦略」
「『鴛鴦春話』論-訓読体小説における読者の内包と主人公の形成」
「イリヤ・レーピンのパリ滞在の再評価-西欧への憧れとロシアへの愛着の間の葛藤」
「トゥールーズ=ロートレックとユダヤ-ドレフュス事件から見る『シナイ山の麓で』の表紙と挿絵」
「土門拳における戦前戦後の存在様式-社会的現実への関わり方としての写真」
「『今昔物語集』の外国語訳について-英語訳と中国語訳を中心に」

平成26/2014年度

「未来志向的概念の分析によるリバタリアニズムの擁護」
「儀礼からみる室町時代の太刀贈答-公家社会への波及をめぐって」
「J.M.W.ターナーの「エジプトの災厄」の絵画に関する考察-崇高表現と同時代の戦争との関連をめぐって」
「ペヨトル工房『夜想』における〈身体〉-青木画廊との関係を中心に」
「近代日本水彩画の1900年代-日英美術の交錯における考察」
「月の光と妖精-世紀末パリにおける人工光技術の展開と感性の変容」
「ボナールの「理想郷」と「現実」-《田園》《都会の風景》《モニュメント》《楽園》再解釈」
「植民地時代の在台日本人のアイデンティティについての研究-『台湾婦人界』の第一期(1934年~1936年)を手掛かりに」
「野上弥生子の小説における学校教育への批判意識-『真知子』(1930)から『迷路』(1956)へ」

平成25/2013年度

「花袋「蒲団」発表前後における「自然主義小説」の語り-小栗風葉の作品を中心に」
「明治日本における義太夫節と国民教化-『浄瑠璃雑誌』上の言説を中心に」
「1820-1830年代におけるポール・ドラロッシュと歴史画-サロン批評・素描・調度品の機能をめぐる一考察」
「絵画の構成論から小説の空間性へ-エミール・ゾラ、1867年のマネ論と『テレーズ・ラカン』について」
「仲立ちとしての「お雇い外国人」-エドワード・ウォレン・クラークと明治日本」
「ポール・セザンヌ受容におけるフォーマリズム形成の問題-ロジャー・フライによる「マネとポスト印象派」展を中心に」
「江戸川乱歩と黒岩涙香-翻案作品の比較を中心に」
「一人称権威の二側面-解釈者の視点と話者の視点」
「ヒューム道徳論におけるメタ倫理学的側面の考察-印象-観念の二層構造からとらえた道徳判断」
「F.リスト編曲の特徴と意義-F.リストのシューベルト・リート編曲の分析を通して」
「出発期の遠藤周作-戦後の「精神の死」を克服するために」
「中国映画における日本兵像-『平原遊撃隊』をめぐって」
「中国の「80後」女性作家研究-張悦然の小説における「自己愛」を中心に」
「近世後期の外来事物とメディア-駱駝の渡来を中心に」
「流動の空間としての浅草-谷崎潤一郎「鮫人」をめぐって」
「「偈」文体研究-その生成と漢化初期における空海の『秘密曼荼羅十住心論』」

平成24/2012年度

「夏目漱石とウィリアム・ジェイムズ-『文学論』について」
「アレクサンドル・カバネルの受容と投影-《パオロとフランチェスカの死》(1870)の美術批評をめぐる作品論」
「ラフカディオ・ハーンと英文学講義-晩年の文学的関心を中心に」
「「売る」クロード・モネ-市場戦略としての〈連作〉」
「堀辰雄の最初期における詩と小説-「自己引用」という視点から」
「遠藤周作における内面描写の探求-『沈黙』と「爾も、また」をてがかりに」
「1920-30年代における装丁論の様相-「工芸」としての書物」
「ニーチェにおける認識批判の立場-ランゲ受容を中心に」
「食べ物・ジェンダー・名前に見る移民のアイデンティティ-日系カナダ人作家ヒロミ・ゴトーのChorus of Mushrooms (1994)とThe Kappa Child (2001)を中心に」
「明治大正期における紀行文の変容と『支那游記』-文体と様式の混交を軸に」
「ブラジルにおける日本文学の翻訳-吉川英治『宮本武蔵』を手がかりに」
「江戸後期の女性漢詩人・原采蘋の研究」
「1920年代中国における独身主義女性言説-国立北京師範大学校長楊蔭楡をめぐって」

平成23/2011年度

「十九世紀和声論におけるヘーゲル哲学の影響-ロティエとハウプトマン」
「アルフレッド・ステヴァンスとジャポニスム-1860年代パリ画壇におけるモティーフの導入」
「揺れる自己-阪神・淡路大震災の手記研究」
「「写真絵画」をめぐる戦後日本における批評言説の再考-ゲルハルト・リヒターを例に」
「「四方の志」あり-ロシア観察者・研究者 大庭柯公とその時代」
「村岡花子研究」
「トルーマン・カポーティのノンフィクション・ノベル-『冷血』の語りの構造」
「山本北山の詩文諸芸論-太平の世における経世家の文学的営み」
「東京名所の明治-名所案内本に見る都市表象の再編」
「数寄者能因像の形成」
「穆時英研究-その作品におけるプロレタリア文学的側面を中心に」
「『雑集』本九想詩における死生観」
「1920-30年代における東京美術学校の朝鮮人留学生-都相鳳・呉占寿(呉之湖)・金仁承を中心に」
「佐藤春夫の「志那趣味」-大正時代を中心に」
「大江健三郎における戦後日本-広島・沖縄の現地調査を経た時代認識の変化」

平成22/2010年度

「舞踏と絵画-J. -G. ノヴェールの書簡に関する考察」
「エドガー・ドガとイメージの操作-タブロー、メタ・イメージ、モチーフの切断をめぐって」
「「仏国文豪」アルフォンス・ドーデへのまなざし-明治期日本の読者たち」
「日中戦争期における「三国志」ブーム-中国はいかに語られたか」
「久生十蘭と函館・東京・パリ-都市体験と絵画表象の変容」
「トーマス・シュトゥルート〈美術館写真〉におけるイメージの多層性-絵画、展示空間、時間を手がかりに」
「『雨瀟瀟』論-小品文世界と生成する「わたし」」
「趣味の基準・陶冶・共同体-十八世紀イギリス趣味論とカントの『判断力批判』」
「『秋夜長物語』に関する一考察-稚児物語の先駆として」
「金素雲に於る翻訳詩法の実験-『朝鮮詩集』から『現代韓国文学選集』へ」
「尹致昊(ユン・チホ)の異文化体験とネーション-尹致昊日記(1883~1906)を中心に」

平成21/2009年度

「1860年代のエドゥアール・マネとその受容-サロン批評、サロン戯画を中心に」
「ピエール・デュボワの思想再考-裁判権と言語をめぐって」
「和声を揺るがす一音-フレデリック・ショパンの作曲技法とその演奏効果」
「他我問題(意味への問いから核心に迫る) 」
「中島敦の朝鮮-作品にみる価値観の変化 」
「安部公房文学における主人公と他人の関係性について-「ソドムの死」、「R62号の発明」、『燃えつきた地図』を中心に」
「『今昔物語集』本朝部における悪の意識」
「安倍能成の生涯と活動-文化における意識の変化を中心として」
「大庭文学におけるアラスカ」
「アリストテレス『デ・アニマ』における感覚と知性-「心的なもの」をめぐって」

平成20/2008年度

「1930年代の朝鮮美術留学生と日本前衛画壇-自由美術家協会を中心に」
「14世紀フランドルの都市ヘントの政治的反乱-ヤコブ・ファン・アルテフェルデの反乱を中心に」
「ハイデガーの哲学的寄与と哲学が持つ「新しさ」の再帰的構造について-神学的「由来」から「存在する」(seiend)の発見と忘却の舞台へ」
「明治期のヴァイオリン文化-「楽器」の文化的越境性を中心に」
「村上春樹と都市との出会い-初期長編三部作の構造との関連を中心に」
「河鍋暁斎と欧米人との交流をめぐる研究-1880年代に「日本の画」がいかに捉えられたかを中心に」
「ウィリアム・フォークナーの『死の床に横たわりて』と蓄音機-死の克服の概念をめぐって」
「戦後イギリス児童文学の変化-ロバート・ウェストール、アラン・ガーナー、ウィリアム・ゴールディングの諸作品にみる「思春期」と「階級」」
「常玉論-20世紀中国人画家の越境と対話」
「キジル石窟第一一八窟(海馬窟)の壁画主題-頂生王説話と亀茲初期仏教」
「寺山修司1960年代の仕事-そのクロスジャンル的展開」
「ウルビーノ公国の奢侈条例-その内容分析と制定背景の検証」
「カール・エルンスト・オストハウスとフォルクヴァング美術館-非西洋への眼差しと展示形式の変遷」
「芥川龍之介「歯車」における科学・技術の問題-機械文明批判の観点から」
「『源氏物語』における父探しの物語-仏教的観点から」
「谷崎潤一郎の作品における映画認識の変容-アメリカ映画界との関わりを中心に」
「安西冬衛『軍艦茉莉』における海のイメージ」
「神の世界と天皇の世界-大国主神と大物主神」
「横光文学と聖書-習作時代から「新心理主義」時代にかけての短編作品を中心に」
「大江健三郎『燃えあがる緑の木』における語り-記録者としての「私」、行動者としての主人公」
「安部公房の「転向」と「都市」-「文学理論」としてのコミュニズムの側面から」

平成19/2007年度

「漱石における匂い-『虞美人草』と『それから』を中心に」
「脱構築の傾向-二つの視点」
「戦前日本におけるキェルケゴール受容-個人主義の問題との関わりを中心に」
「前期ハイデガーにおけるカテゴリー的直観の意義」
「黒いオルフェ-ヴィニシウス・ヂ・モラエスの戯曲『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』から映画『黒いオルフェ』へ」
「倉橋由美子の「黒人」-記号としての「黒人」からポスト・モダニズムのその先へ」
「『古事記』における歌と散文-叙述の方法」
「日夏耿之介『轉身の頌』論-草創期の詩法の展開」
「原田直次郎の留学時代-ミュンヘン画壇との関わりを通して」
「「恩寵の巡礼」に関する一考察-16世紀イングランドの北部反乱」
「有吉佐和子の「アメリカ」-ゆらぐナショナル・ナラティヴ」
「貝原益軒の紀行文・地誌の研究-成立過程と後世への影響を中心に」

平成18/2006年度

「ジェイムス・ジョイスと文化ナショナリズム-カレイドスコープに映る祖国」
「「巷談」から戯作へ-仮名垣魯文作『薄緑娘白浪』を中心に」
「イブン・シーナー『治癒の書』「霊魂論」における知性の上昇と、それにおける能動知性の意義」
「一つの「道」、「多様」な人々-伊藤仁齋・荻生徂徠・水足博泉の思想をめぐって」
「評伝 川島芳子」
「バリとパリの出会い-バリ・プリアタン舞踊公演の軌跡と「伝統」再考のための発議」
「「大鴉」をめぐる変奏-「マラルメとアングロ・サクソンの世界」瞥見」
「近世文学における『太平記』の受容-太平記読みと「泣芸」のモチーフを中心に」
「明治大正女流文壇における樋口一葉の影響と受容-「下町の新しい女」から「新しい女」へ」
「『一房の葡萄』論」
「中世前期怨霊鎮魂問題の展開」
「「皇国」の物語のための「外国」-『古事記伝』が作った「古事記」」

平成17/2005年度

「カトルメール・ド・カンシー著『フランスにおけるデッサン芸術の考察』について-19世紀フランスの美術制度論との関わり」
「前期堀河朝における弁官系公卿の活動について-弁官作法の伝授と摂関の被諮問公卿としての役割における通俊と経信を中心として」
「明治・大正詩壇における詩人アーサー・シモンズ」
「新時代デザインへの挑戦-1920年代の杉浦非水と同志たち」
「世紀転換期における日仏文化交渉史-フェリックス・レガメーを通して」
「国光の倒影-戦前の万国博覧会における日本の対外文化宣伝と写真壁画」
「ドゥルーズと自由の哲学-『差異と反復』を中心としたドゥルーズの哲学について」
「若松賤子訳『小公子』の翻訳文体に関する考察-デス・マスが開いた世界」
「金庸武侠小説研究-人物形象と「侠」概念を中心に」
「19世紀東アジア宣教における翻訳のことば-漢訳『天路歴程』から朝訳『텬로력뎡』(ティョンロリョッディョン)へ、そして和訳『天路歴程』について」
「韓国におけるホイットマン受容」
「大江健三郎の初期小説と〈女子大学生〉」
「「無告の民」の代弁者-明治中後期の日本と英国ヴィクトリア朝における都市底辺ルポルタージュの比較研究」
「浮舟物語論-出家の道程をめぐって」
「脱近代としての「空の立場」-西谷啓治のニヒリズム論をめぐって」

平成16/2004年度

「フランスの民話におけるフェについて-「昔話のフェ」を中心に」
「写真とテクストの臨界-ロマン・フォトとポストモダン世代の作家たち」
「幕末・明治期の経済啓蒙」
「「反転」する伝統詩歌-野口米次郎The Spitit of Japanese Poetryの成立」
「現代社会における倫理学の課題-ハーバーマスのディスクルス倫理学を手がかりとして」
「ポール・セザンヌの絵画における「境界」」
「宮崎夢柳の詩と小説-「志士」と「佳人」像の展開」
「兪吉濬『西遊見聞』再考察」
「江戸川乱歩と映画的想像力」
「『豊饒の海』における場の意味-『天人五衰』における「日本平」を中心に」

平成15/2003年度

「中世ヨーロッパの聖職者による宮廷批判」
「ステファヌ・マラルメにおける〈自然〉の観念について-「印象派の画家たちとエドゥアール・マネ」を中心に」
「活動する人間-ハンナ・アレントの「活動」について」
「世紀転換期ジャポニズム・ロマンスにおける異国空間「日本」」
「鎌倉幕府服装制度試論-前期・中期を中心に」
「『古事記』『日本書紀』における天下-天皇の世界の構築」
「台湾知識人劉吶鴎研究」
「日系アメリカ文学と場所の問題-ローソン・フサオ・イナダの詩とジャズ」
「異国都市のスペクタクル-夏目漱石と永井荷風における演劇的虚構」
「隠者文学としての『方丈記』-老荘思想の影響をめぐって」
「山上憶良論-「沈痾自哀文」をきっかけに」

平成14/2002年度

「アルフォンス・ルグロと「素朴さ」-《エクス・ヴォト(奉納画)》をめぐって」
「泉鏡花の〈藝術小説〉-反自然主義と翻訳受容」
「悪役ドン・キホーテ-サミュエル・バトラーの『ヒューディブラス』におけるセルバンテス受容」
「F・スコット・フィッツジェラルドにおける「超リアル」の世界-『楽園のこちら側』と『グレート・ギャツビー』をめぐって」
「悪と苦難-原初史とヨブ記の解釈学」
「哲学の自然-ピュシスをめぐる諸問題の解明」
「カイユボット研究-絵画における都市の細部の表象」
「語りと了解-『存在と時間』における世界内存在の二重性」
「森田思軒における翻訳の展開-翻訳『十五少年』を中心にして」
「中原中也の止揚の空間-未刊詩篇をめぐって」
「生まれ変わるテクスト-Du Contrat Social, ou Principes du droit politiqueから『民約訳解』へ、そして『盧梭民約』へ」
「高村光太郎の詩篇における「反復」-『道程』「猛獣篇」を中心に」
「日清戦争と少年雑誌」
「優生学の射程-潘光旦を事例に」
「複眼の詩人-李賀 -視点の問題を中心に」
「安部公房の多ジャンル間作品 テキスト構成への近代五種的アプローチによるアヴァンギャルド的要素-『棒になった男』『鞄』を中心に」

平成13/2001年度

「アンリ=ファンタン・ラトゥール《ピアノを囲んで》と1880年代のフランス音楽」
「「曷利」と「伊里」-「四家悉曇」におけるサンスクリット音韻体系の漢字表記について」
「西脇順三郎:その詩風の変遷-『トリトンの噴水』から『近代の寓話』まで」
「危機の中の親善-1939-40金門万国博覧会における日本の文化外交」
「ジョルジュ・スーラの絵画における〈劇場性〉-額縁、人工照明、人形のポーズ」
「人間と理解できないものごと-カント『宗教論』における判断の諸相」
「幸福な結婚という虚構-19世紀アメリカの家庭小説に見る恋愛と結婚」
「谷崎潤一郎の『文章読本』-日本語で書くということ」
「張赫宙の書記日本語小説-語りの構造とその変容」
「神泉苑と神仙思想」
「『源氏物語』における賀茂信仰」

平成12/2000年度

「歌謡物語に関する一考察-ヤマトタケル物語を中心に」
「「蒼涼」たる風景-張愛玲文学試論」
「フランツ・フォン・バーダーにおける「アンドロギュヌス」と「エロース」」
「横光文学における他者と表現-レトリック空間としての『上海』」
「ゴンクール兄弟の美術批評研究-結晶化、作品化、クロッキー」
「フィクションとしての旅行記」
「「ろう文化」と「聴文化」の間-コーダの文化論的考察」
「平安期中後期の朝廷と入宋僧」
「野生動物と〈児童〉の思想-E・T・シートンの作品を中心に」
「外国人児童・生徒の日本語教育と母語教育」
「立原道造のソネット-詩的深層とイメージをめぐって」
「ジェイムズ・ジョウンズ戦争三部作における登場人物の進化」
「『懐風藻』-長屋王詩宴をめぐって」
「文学のなかのモダン銀座」
「境界に生きる-河野多恵子の初期作品におけるジェンダーの戦い」

平成11/1999年度

「和辻哲郎の共同体論」
「植民地期朝鮮文学の都市空間-朴泰遠文学における1930年代前半の東京と京城」
「大岡昇平の『俘虜記』と『野火』における語り-テクストの改稿を中心に」
「祖国と女性表象-トリン・T・ミンハ映画作品『姓はヴェト、名はナム』をめぐって」
「近代日本における「朝鮮説話研究」」
「一理に深く思いを-熊楠のアメリカ、土宜法竜宛書簡から」
「吉田兼倶の〈日本書紀〉-はじまりの物語を中心に」
「〈遊び〉の蒐集-後白河法皇の『梁塵秘抄』と『年中行事絵巻』」
「音なき谺-音楽学のレトリック」
「朝鮮人との出会い-中西伊之助の『赭土に芽ぐむもの』を中心に」
「明治期日本の文化における東方正教会の位置および影響」
「小林秀雄の「社会化した私」-転換期の「思想」概念をめぐって」
「1920年代における朝鮮人の中国認識について」
「江戸時代の文学作品における『三国志演義』の享受-『時代三国志』を中心として」

平成10/1998年度

「西洋俳句事始-二十世紀初頭までの英・独語による俳句紹介の諸傾向」
「漱石の思考と感情-夏目漱石『文学論』研究」
「二世文学と沈黙-日系アメリカ人作家ヒサエ・ヤマモトを中心に」
「新渡戸稲造とキリスト教-宣教としての教育を中心に」
「エマソンと日本のリアリズム文学-岩野泡鳴を中心に」
「マラルメの詩作と数学-射影幾何学を中心として」
「ジローナ『天地創造の刺繍布』における中世の動物観-図像学的解釈の試み」
「ベケットの戯曲における「声」-「存在」の分裂・「空間」の分裂」
「植民地期朝鮮の日本人社会と皇民化-宮崎清太郎と小尾十三を中心にして」
「新劇における朗読・朗誦法(デクラメイション)-木下順二と山本安英の会を中心に」
「内なる異国の発見-カネッティ、H.フィヒテ、フェスパーにおける異質性の言語」
「歌舞伎の近代-明治前期における東京の小芝居をめぐって」
「文学の中の絵画-幸田露伴における考察」
「エックハルトとベーメにおける「根底」(Grund)」
「訓読される日本書紀」
「ニュッサのグレゴリオスにおける愛による人間本性のエペクタシス(無限前進)」

平成9/1997年度

「加藤周一における西洋体験の基盤」
「金東仁の『弱きものの哀しみ』韓国近代小説言説の成立-岩野泡鳴と田山花袋との関連において」
「日中文学作品中の女傑像の比較研究-近世文学を中心に」
「〈自己表現〉の時代-日露戦後文学空間の再編成」
「李箱(イサン)文学の展開と芥川龍之介」
「古地図に顕れる日本と韓国の世界観-東アジアの秩序の中の日本と韓国のアイデンティティー」
「アイルランド演劇から新劇へ-民衆・郷土の誕生と大正期の新劇」
「ドイツにおける〈文化〉と〈文明〉-第1次世界大戦期におけるトレルチ、マイネッケ、トーマス・マンを中心に」
「王朝後期物語における主人公像の変貌-『夜の寝覚』と『浜松中納言物語』を中心として」
「『坊ちゃん』とその韓国語訳」
「日中笑話の比較研究」
「少女雑誌「ひまわり」論」
「詩的言語の誕生-西脇順三郎の初期の詩作を中心に」

平成8/1996年度

「1940年代日本の文芸批評に見られる〈文学主義〉」
「江戸時代における「南方熱国の異人像」-近代〈南洋言説〉の萌芽」
「「名声」と「名誉」-第二帝制期のパリと複製絵画の流通をめぐる一考察」
「劇的構成原理としての比較-謡曲とイエイツ」
「旧約聖書における「契約」-「他者」との出会い」
「茶番劇としての母物語-映画『草迷宮』を手掛かりに」
「非対称の詩学-和漢聯句の連辞構造」
「日韓の近代小説成立期における文体と視点-『浮雲』と『無情』をテクストとして」
「「書」が語る近代日中文化交流-清朝碑学の日本受容をめぐって」
「田中正平の音楽観と音楽活動-日本音楽の最認識におけるその意義」

平成7/1995年度

「韓日笑話の比較文学的研究-「きのふはけふの物語」と「冥葉志諧」を通じて」
「世界漫遊家キップリング-インド植民者のアジア観光旅行」
「近世日本における神話的世界像の展開-服部中庸「三大考」を中心として」
「ペリー提督のピクチュアレスク・トラベル」
「自由民権運動の終焉と「壮士」「青年」「少年」-明治二十年代初頭における政治的主体の構築とその帰結に関する文化史的考察」
「東と西の結婚:大正時代のバーナード・リーチ」
「エチエンヌ・ディネ-二重に作られた芸術家像」
「「芸術」批判としてのアヴァンギャルド-ペーター・ビュルガーの「アヴァンギャルドの理論」について」
「マティスと日本 1909-1951 マティス受容史序説」
「独立協会運動の文明観と日本」
「蘇曼殊研究-翻訳と創作」
「近代「写生」の系譜子規とフォンタネージの絵画論」
「佐藤春夫文学の転換点-大正九年の台湾・福建旅行をめぐって」

平成6/1994年度

「繁茂する語り-中上健次とフォークナー」
「シベリア鉄道の夢-日露戦争前夜のシベリア・満州ヴィジョン」
「朝鮮神話の世界観」
「かかる女のあらましかば-『とりかへばや物語』と『在明の別』における色好みのパロディー」
「シャガールの線描画-筆先に込められた画家自身」
「一九四○年前後の韓国人二カ国語小説研究-李光洙と金史良を中心として」
「「遠き唄」を求めて-西条八十の「異国」」
「伝誦者としての母-円地文子『女坂』にみる母子関係」
「荷風の文明批評-1909年から1915年まで」
「馬場辰猪と英国留学」
「ペルシア・アラブ文学における霊鳥像の変容」

平成5/1993年度

「音楽と文学のはざま-バルト、クンデラ、キニャールの場合」
「詩的世界の出合い-『新撰万葉集』における日本と中国の伝統」
「中国社会の変革と外国文学の受容-茅盾の「弱小民族文学」の翻訳について」
「内村鑑三と「日本的基督教」」
「郁達夫における日本文学の影響-「沈淪」「過去」「迷羊」を中心に」
「エーテル  言葉と物」
「中国の象徴主義運動と日本-田漢から魯迅まで」
「ラテンアメリカの幻想-「魔術的リアリズムをめぐって」」
「十九世紀後半における出産と科学-ゾラ『ルーゴン=マッカール叢書』における一考察」
「慰み者の復権-家庭小説の時代とその読者」
「「京城」の探偵小説」

平成4/1992年度

「宮沢賢治とルイス・キャロルにおけるナンセンス」
「モンテーニュ:《母なるもの》への憧憬」
「罵倒表現の日中比較研究-『金瓶梅』と江戸文学を中心にして」
「上海開明書店と立達学園-五四以後の新文化運動と日本」
「韓国近代詩と日本-朔太郎を中心に」
「衣をうつ音-「砧」の比較文化的研究」

平成3/1991年度

「杉本鉞子-日米を生きた「武士の娘」」
「傅雷-現代中国知識人と西洋音楽」
「植物園の夢想-北原白秋の詩的世界」
「仏教説話における自己犠牲の倫理とその系譜-シビ王本生譚を中心として」
「高麗神社研究」
「明治の美術と文学における絵画思考-黒田清輝における現実との対決とその射程の史的位置」
「壬辰・丁酉倭乱(文祿・慶長の役)に関する近世韓・日文学の比較研究-普州城戦闘をめぐって」
「中国における新しい人間像の模索-魯迅・周作人共訳『現代日本小説集』を手がかりに」
「エドゥアール・マネ『オランピア』の諸相」
「山中人 田能村竹田-「小道」としての詩画の効用」
「ワーグナーにおける光と闇-『トリスタンとイゾルデ』の劇詩に現れたシェイクスピアの影響について」

平成2/1990年度

「対立する神々-「古事記」と「スノリのエッダ」の神々の双分性に関する対照研究」
「樹上の経世家-海保青陵の人と思想」
「横光利一『旅愁』とヨーロッパ文化の「周辺」におけるナショナル・アイデンティティの問題」
「感覚の饗宴-ガブリエーレ・ダンヌンツィオと日本の「世紀末」」
「神話と悲劇-パイドラ伝説をめぐる三作品」
「都市の誕生と死-アレクサンドロス伝説におけるアレクサンドレイアとペルセポリス」
「酒井抱一 その遊びと美の感覚」

平成元/1989年度

「東アジアに於ける文化的ナショナリズムの台頭と中華思想の衰退-新井白石と朴趾源の場合」
「言葉の道化師-堀口大学におけるジャン・コクトー像の考察」
「大清帝国最初の遣外使節-随行通訳張徳の見聞録を中心に」
「近代と歴史意識の底層-林達夫の場合」
「南方熊楠、一切智の夢」
「鏡の部屋-三島由紀夫作品の一考察」
「音の通い路-「宇津保物語」から謡曲「経政」までの日本文学にあらわれた音のイメージ」
「日本におけるケストナー-大人たちの戸惑い」
「二つの英国観-近代日中知識人の英国体験」
「恐怖の魅惑-イギリスと日本における「自然の崇高美」の観念史」
「黄遵憲の日本理解」
 
 

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