平成25/2013年度授業科目一覧 |
科目名(担当教員) |
講義題目・内容 |
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多元文化構造論II
(大石紀一郎) |
「ニーチェ解釈の諸問題」
ニーチェを解釈することをめざす際に直面する課題や問題を取り上げて、参加者とともにドイツ語のテクストを読んで考える。 |
神話と文化II
(梶谷真司) |
「規範に関する歴史哲学的研究」
「規範」について、哲学、社会学、歴史学など、多面的に考察する。 |
基層文化形成論II
(桜井英治) |
「中世日本の社会と文化」
室町時代の皇族・伏見宮貞成親王の日記『看聞日記』の嘉吉元年(1441)条を読む。六代将軍足利義教が暗殺された嘉吉の変に関する詳細な記事がみえるほか、社会・文学・美術・芸能・遊び・衣食住等々に関しても記事が豊富である。この史料から何をつかむかはひとえに銘々の関心次第だが、歴史学・文学・美術史・文化人類学・民俗学など、さまざまな分野からの受講者を広く期待している(ただしテキストに関しては受講者との相談により変更することもありうる)。 |
文化コンプレクシティ演習II
(佐藤光) |
[夏学期]「ウィリアム・ワーズワスと比較文学研究」
学期の前半は、ウィリアム・ワーズワスの代表的なテクストを読むことで、英詩読解の基礎を学びます。後半は、ワーズワスに言及した明治・大正期の論考を読んで、日本におけるワーズワス受容の一側面を考察します。自然、子ども、記憶、キリスト教などに注目しながら、比較文学研究の実例を体験して下さい。
授業で扱うテクストは次の通り。前半:Expostulation and Reply, The Tables Turned, Tintern Abbey, Lucy poems, Preface (Lyrical Ballads, 1802), Intimations of Immortality, The Solitary Reaper, etc. 後半:徳富蘇峰、夏目漱石、植村正久、内村鑑三、島崎藤村、国木田独歩、など。必要に応じて追加削除の可能性あり。
[冬学期]「William Wordsworth and Samuel Taylor Coleridge, Lyrical Ballads (1798)を読む」
英国ロマン主義の原点といえる詩集『叙情歌謡集』を読み、イギリス・ロマン主義と英詩に関する理解を深めます。
図書館の端末からGACoSに入り、Eighteenth Century Collection Onlineにアクセスして次の文献を見つけて下さい。教材として使用します。
TITLE: Lyrical ballads, with a few other poems. AUTHOR: Wordsworth, William. DETAILS: London, 1798. 217 pp. |
文化コンプレクシティ演習IV
(徳盛誠) |
「日本研究入門一歩手前」
この演習では、日本の文学や思想を研究する態勢づくりとして、毎回、短いテクストを題材に、そこで何がどのように語られているかを問い、鑑賞し、討議する。テクストを深く読み込んでいく技量を参加者相互が切磋琢磨することを目標とする。
毎回担当者を決め、報告してもらう。演習の詳しい進め方については開講時に説明する。
留学生を念頭に置いた演習だが、それ以外の学生の参加も歓迎する。 |
文化コンプレクシティ演習Ⅵ
(田村隆) |
「萩野文庫本『大鏡』注釈」
本学総合図書館萩野文庫に所蔵される『大鏡』を演習形式によって読み進める。夥しい書き入れを有するこの本の注釈作業を通して、古典を精読する方法を身につけてほしい。「萩野文庫」の旧蔵者萩野由之氏は東京帝国大学の名誉教授で、『大鏡』についても『校定大鏡』(1897年)の編著があり、また九州大学附属図書館にも別の萩野文庫本『大鏡』が所蔵される。2つの萩野文庫本が萩野氏の『大鏡』研究とどのように関わるのかといった問題もあわせて考えたい。 |
比較詩学II
(齋藤希史) |
「東アジアの文学芸術論」
六朝から唐宋期の詩文論・藝術論について原典を精読し、東アジアにおける詩文・絵画等の機能について考える。東アジアにおいて詩と文と書と画とは相互に連携しながら展開していったことを理解しつつ、受講生それぞれの立場から、それらを複層的に捉える視点を得ることを目標とする。 |
ジャンル交渉論II
(Hermann Gottschewski) |
「音楽のカテゴリー化」
音楽は音波として私たちの耳に入るが、私たちが認識しているのは音波という連続的な移り変わりというより「音」、「和音」、「旋律」、「楽器」、「曲」などの様な離散的な対象である。連続的なものから離散的なものへのプロセスは「カテゴリー化」(categorization)と呼ばれる。つまり「ここからそこまでは一つのものであり、そこからは別のものが始まる」という区分と、そのように分離されたものが「こういう種類に属する」、あるいは「これである」という判断である。そういう区分や判断は無意識的に認識以前、あるいは認識のプロセス途中の段階で起こる場合と、認識以後意識的に識別するために行われる場合がある。学術研究でもカテゴリー化に悩むことは珍しくない。あるいはカテゴリー化そのものが学術研究の目的となることもある。
ここまでは音楽に限った話ではなく、人間の認識と理解の一般的な問題として古代の哲学から現代の認知心理学まで広く議論されてきたことであり、この授業で一般の問題として取り上げる予定はない(そういう基礎的な知識と問題意識を予め読書などで身につけていただきたい[1])。それより音楽研究者として常に問題となる様々なカテゴリー化を、「カテゴリー化」という問題そのものを議論の軸にしながら、具体的に取り上げたい。大雑把に分類すれば以下の様なテーマが考えられる。
(イ)音楽認識の下位カテゴリー:音高・音程・拍・アクセント等
(ロ)音楽認識の上位カテゴリー:拍子・音階・調・和声・古代修辞学から音楽に応用されたカテゴリー等
(ハ)音楽理解の下位カテゴリー:旋律・音楽形式(リズム的/和声的)・動機/主題等
(ニ)音楽理解の上位カテゴリー:曲・作品・ジャンル・様式等
(イ)の問題の一例はシンコペーションの認識である。音楽の知識がない人でも、シンコペーションだとは分からないが、そのリズムの特徴を何気なく感じることができ、シンコペーションがないリズムと識別することができる。それは音楽によって拍(beat)が成立し、実際に鳴っている音と拍の間に矛盾が生じるからである。その矛盾が生じ得ることは、拍が音の中にあるのではなく、音から自立したものとして存在していることの証拠となっている。
(ロ)の例として「長調」と「短調」の認識を挙げることができる。その認識の条件は音程の西洋的なカテゴリー化や主音の認識等、広くいえば聴き手が西洋音楽に文化化(enculturation)されていることである。
(ハ)の例としては一曲の中で連なっている音の列を区切ってフレーズの組み合わせとして理解する能力を取り上げることができる。比較音楽学の研究ではその能力が母語等の言語能力とも関係があり、例えば同一の楽曲がドイツ人と日本人に聴かれた場合に必ずしも同様に行われないことが明らかになっている。
(ニ)の例としては「原曲」・「ヴァージョン」・「編曲」などの区別、民謡の様々な変化形の中のメロディーと歌詞の同一性の判断などが挙げられる。これらのカテゴリー化が商業的な影響も大きい。例えばモーツァルトの作品の二つの写本が訂正や書き写しの間違いによって偶然に異なる「同一のもの」としてではなく、別々の「ヴァージョン」として認められれば、出版社や演奏者は両方のヴァージョンの出版譜や録音をそれぞれ価値があるのものとして、聴衆に「二つのもの」として提供することができ、モーツァルトの全作品を揃えたい消費者は両方を買わなければならない。
この授業の具体的なテーマは参加者の興味を参考にして決めようと思うが、具体的にはカテゴリー化に特に言及している歴史的な音楽理論書とカテゴリー化を問題視している学術論文の解読、そして教員や学生の進行中の研究でカテゴリー化に関わる問題のディスカッションという三つの方法で授業を進めたいと思う。
[1] 特に哲学史においてはアリストテレスとカントのカテゴリーに対してのそれぞれの考えを理解していただきたい。また現代の認知心理学に関してはcategorical perceptionの概念を中心に研究の動向を把握していただきたい。 |
比較形象論II
(三浦篤) |
[夏学期]「フランス近代美術文献講読(3)オラース・ルコック・ド・ボワボードラン」
19世紀フランスの素描家、美術教育者で、Petite Ecoleと呼ばれたパリの美術学校 Ecole spéciale de dessin et de mathématiques で教えていたオラース・ルコック・ド・ボワボードランの著作 Education de la mémoire pittoresque (1848,1862)を読む。19世紀フランスの美術教育理論として重要な著作であり、その考えはルグロ、ファンタン=ラトゥール、ロダン、カザンらの弟子たちに継承されていった。伝統と近代のはざまにある19世紀の美術教育理論の根幹に触れてみたい。
Education de la mémoire pittoresque (1848,1862)の新版を取り上げ、前半はテクストを購読し、後半は弟子たちの活動との関連性についても調査したい。 [冬学期]「美術史の枠組みー西洋と日本」
美術史(学)のグローバル化が唱えられてから久しい。事実、美術史学は単一ではなく国や地域によって当然違いがある。美術史学が生まれた西洋の枠組みはひとつの物差しにはなるが、例えば東洋、特に日本の美術史にそのまま適用できるわけではない。このゼミでは、David Summersによる比較美術史的な著作 Real Spaces をひとつの手がかりにしながら、西洋と日本の美術史の在り方を比較検討してみたい。大上段に振りかぶるのではなく、個別的な問題からアプローチして議論を重ねたい。
前半は David Summers, Real Spaces: World Art History and the Rise of Western Modernism, New York, Phaidon Press, 2003 を購読し、後半はテーマを設定した発表形式をとる。 |
比較ナラトロジーII
(伊藤徳也) |
「現代中国文化における「物語」の検討」
「物語」は小説や映画等の自律的で「頽廃」的な芸術形式の中だけではなく、社会のいたるところで語られ、様々な人の胸の中に生きている。この授業では、中国の近現代小説や映画を中心的な検討対象として、「物語」のパターンやテクスト間の関係、「物語」の変容のあり方、全体と部分(ストーリーとキャラクター/作品全体の「意味」とディテール・文体/享受者による社会的評価・解釈と作家の頽廃的企図等)との関係を考察する。 |
比較思考分析II
(古荘真敬) |
「ハイデガーとドイツ観念論」
ハイデガーは、ドイツ哲学の伝統をいかに解釈し、いかに「乗り越え」ようと模索したか。今期は、Holzwege所収の論考Hegels Begriff der Erfahrungを読み解きながら、ハイデガーのヘーゲル理解の検討、討議を行う。
Heidegger, Martin. "Hegels Begriff der Erfahrung." In: Gesamtausgabe Bd. 5. Frankfurt: Klostermann, 1977. |
比較文学比較文化演習II
(ロバート キャンベル) |
「明治初期啓蒙文学の研究」
福沢諭吉著『学問のすゝめ』(1872-76刊)のパロディーであり弁駁書である服部応賀(万亭応賀)の『活論/学門雀』(1875刊、6冊、河鍋暁斎挿絵)を精読する。『学門雀』は、『学問のすゝめ』冒頭の名文「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」をはじめ、開化期啓蒙の基本概念をことごとく論う一種の戯作であると同時に、それ自体啓蒙的な立場に立ち、維新後の世相と、処世訓を真摯に説いている。『学問のすゝめ』と対比させ、また明治ゼロ年代に流行した多くの啓蒙文学を参照しながら、パロディー版『学門雀』の意義を問いたいと思っている。 |
比較文学比較文化演習III
(今橋映子) |
「〈雑誌〉研究の可能性-文学・美術・文化研究の現場で」
インターネット環境の進化と、雑誌復刻事業の蓄積によって、文化研究における〈雑誌〉分析の可能性は、一段と広がってきている。本授業は、〈雑誌〉を研究補助として扱うのではなく、雑誌そのものを対象とした文学、美術(写真、映画、建築等を含む)、文化研究がいかにして可能かを探る。具体的事例の検討と、参加者の研究発表から構成する予定である。参加者には予備知識を要求しない。また文学、美術、思想、大衆文化など、どの分野の(どの地域の)専門でも参加可能である。ただし、課題テーマあるいは自由テーマのどちらかを選んで発表し、さらに他参加者発表のディスカッサントをこなす、積極的参加が期待される。希望者は、初回の授業に必ず出席すること。 |
比較文学比較文化演習IV
(寺田寅彦) |
[夏学期]「フランス文学史と日本文化」
本講義はフランス文学史(19世紀と20世紀のみを扱う)の基礎知識を習得することを第一の目標とする。そのうえで、フランス文学史と日本文化の影響関係を簡潔に考察する。
教科書として『新版 フランス文学史』を用い授業を進めていく。スライド等も用いて、同時代の日本文化と連関させながら理解を深める。
[冬学期]「光とスペクタクルの19世紀」
19世紀フランスのさまざまな「見世物」を扱ったフランス語論文を精読することで、フランス語の運用能力と19世紀フランス文化の知識を高める。 |
比較文学比較文化演習V
(野矢茂樹) |
「現代行為論」
現代行為論における意図的行為の構造および実践的推論に関する議論についての理解を深める。
[夏学期]
G.E.M.アンスコム「実践的推論」を読みながら、議論する。
[冬学期]マイケル・ブラットマン「計画を重要視する」および「反省・計画・時間的な幅をもった行為者性」を読みながら、議論する。 |
比較文学比較文化演習VI
(菅原克也) |
[夏学期]「短編小説の語り」
英語で書かれた短編小説を読み、その「語り」ついて分析する。
英語テクストの語学的な面にも配慮しつつ、作品論として論じる際の切り口を自分自身で見つけ、読みの実践を行えるようになることを目標とする。
[冬学期]「北原白秋『桐の花』を読む」
白秋の歌集『桐の花』(大正2年)を白秋自身の詩集等を参照しつつ読む。短歌のテクストそのものを読むことを目標とする。
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超域文化科学特別講義II
(金子明雄) |
「日本近代文学の歴史をどのように見るか」
明治期から昭和戦前期までの日本近代文学の流れをどのような観点から把握すべきかという問題を、文学の背景となるメディア環境の変化、教育制度などの文化システム、グローバルな政治的文脈ばどとの関連性を考慮しながら、具体的な作品の読解と関連させて理解することを目標とする。 |
超域文化科学特別講義II
(金沢百枝) |
「キリスト教図像学演習」
西洋絵画においてキリスト教美術は、19世紀後半に絵画のジャンル・ヒエラルキーが崩壊するまで、最も大きな主題でありつづけた。現代美術にもその残響は残る。その起源を辿ると、キリスト教美術は近代的な意味での「芸術」ではなく、宗教的な文脈での「実用品」として機能してきた。その解読には絵画の機能や役割、社会的背景など、文献操作/図像操作のディシプリンを必要とする。
本講義では、キリスト教図像学を歴史的・文化的・社会的背景を問い直し、履修者のキリスト教美術の読解力を育むことを目的とする。具体的には履修者の興味に柔軟に対応しつつ、キリスト教美術の成り立ち、図像構成やその仕組み、用途や機能について、近年の研究動向をふまえながら論じ、最終的にはある作品の解釈をめぐって履修者全員で討議したい。 |
超域文化科学特殊研究V
(佐藤光) |
「英語講読論演習(英語教育プログラム)」
英詩、短篇小説、戯曲の一部、評論などを読みながら、英文読解力の向上を目指します。
(*英語教育プログラム登録者のみ履修することができます。) |
超域文化科学特殊演習III
(Hermann Gottschewski) |
"Japanese-Korean Exchange Seminar: Music and Language in Transnational Contexts"
This course is held as a summer course together with students from the College of Music of Seoul National University. The students will prepare and discuss English papers belonging to one of the following two areas and seven special topics:
1) VOCAL MUSIC CROSSING BORDERS
1a) “Singing Languages”: There are many cases in music history where a culture of singing in a certain language transcends the region where that language as spoken, such as singing in Latin, Hebrew or Sanskrit in religious music, singing in Italian in opera, singing in Chinese in some historical East Asian music genres, singing in English in popular music. Often the texts of these vocal pieces are not understood by the audience or not even by the singers themselves, and even the language ability of the composer is limited in some cases. Does it mean that “singing languages” tend to attach more importance to language as sound or as a symbol for something than to language as a measure to communicate meaning?
1b) Vocal Music Translated: Translation of vocal music, for which there are examples in almost all genres of music, involve special problems mainly due to the different structure of language pronuntiation and different metrical concepts of languages. The translation of Western music to Asian languages is a problem of special interest for Asian musicologists.
1c) Adaptation of New Words to Foreign Melodies: Espescially in the case of pedagogical music (such as East Asian school-songs, 唱歌), but also in many other musical genres, there are cases where the adaptation of words with a new meaning is preferred to a translation. Even in these cases the difference of language structures convey a number of problems, since the original melodies are coined by the sound structure of the original language and its metrics.
1d) Communication of Original Language Performance: In some contexts, especially in modern concert and opera culture of Western classical music and in music ethnological performances, there is a systematical approach to performance of vocal music in original languages to audiences that are not able to understand those languages, although the understanding of the words is not regarded as dispensable for an unstanding of the music. So additional means as introductions, undertitles etc. are used to communicate the meaning of the words. How changes the reception of music if a direct understanding of the words is not yet possible?
2) SPEAKING ABOUT MUSIC IN TRANSNATIONAL CONTEXTS
2a) The Languages of Music Theory: Chinese music theory in East Asian music cultures, Greek and Latin music theory in Western music cultures, German and English music theory in modern Global music cultures (and perhaps many other cases around the world in history) are examples showing that not only vocal music, but also music theoretical concepts are bound to language and cross national borders. The confusing multiple concepts of naming the tones of the scale in Asian countries are only one striking example of this fact. How function the languages of music theory in transnational musical communication, and which kinds of problems do they implicate?
2b) The Metalanguages of Music: Italian technical terms in Western classical music, Chinese technical terms in Asian music cultures, English technical terms in modern popular music cultures are used by musicians with other mother tongues in writing, reading, teaching and learning music, and during this process the terms develop (partly) independently from their original meaning due to their usage in a new context. Is musical terminology a kind of thing between verbal language and “absolute” music, since it gains its meaning to one part from its original language, to another part, however, from its relation to artificially organized sound?
2c) Translation of Musical Writings: Translation of writings about music, such as for example music history and music aesthetics, is a broad and important field for musicologists, especially in Asian countries. Which kind of problems are connected to these translations? How is music culture influenced by them?
Other topics, especially if they are relevant for Japanese-Korean exchange in musicology, can be chosen after consultation with the course teacher. |