比較文学比較文化研究室

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研究室紹介担当教員紹介大学院学部後期課程

授業内容一覧

平成30/2018年度授業科目一覧

科目名(担当教員) 講義題目・内容
多元文化構造論I
(前島志保)
[Sセメスター・Aセメスター]明治・大正期の新聞・雑誌を概観するVII・VIII
(=シニア比較芸術「比較文化論III」「専門日本語(5)」/学際情報学府「文化・人間情報学特論XXVIII」)
新聞・雑誌といった定期刊行物はこれまでは様々な研究の資料として扱われることが多かった。そのメディアとしての在り方自体が注目されるようになったのはごく近年のことである。また、新聞・雑誌自体が研究対象となる場合も、両者の境界を越えて考察されることは稀であった。本講では、明治・大正期の主な定期刊行物のいくつかを取り上げ、刊行頻度、大きさ、紙質、レイアウト、編集傾向、文体、記事ジャンル、視覚表象の用いられ方、取り上げられる話題の傾向などに着目して調査・分析することを通して、言説を盛る器・コミュニケ―ションの媒介項としての新聞・雑誌がどのように変遷してきたのかを具体的にたどっていく。今年度は明治末期から大正初期の新聞・雑誌を取り上げる予定。
多元文化協力論I
(佐藤光)
[Sセメスター]「ウィリアム・モリスの芸術論と社会論を読む」
ウィリアム・モリスにおいて、芸術、工芸、社会はどのように連動していたのでしょうか。産業革命以降、貧富の差が拡大したにもかかわらず、社会福祉が未発達だった時代に、モリスはどのような社会のあり方を模索したのでしょうか。柳宗悦は「モリスの社会論者としての休息を知らない一生の努力に限りない敬念を感じる。如何なる論者も、来るべき社会を想ふ事なくして、来るべき工芸を論ずる事は出来ぬ」と言いました。モリスが想定した「来るべき社会」は、来たのか、来なかったのか? その理由は何か? モリスを読みながら、いろいろ考えてみましょう。

[Aセメスター]ユートピア・ディストピア関連文献乱読
こんな世界に住めたらいいな、という理想郷について、いろいろな人がいろいろなことを言っています。いろいろなことのうち、授業担当教員の興味関心をもとに12点の文献を選び、ブルドーザーのように読んでいきます。目標は、ユートピア、ディストピア関連について、知識を増やすこと。だから、日本語訳を使用します。
民俗社会論I
(渡辺美季)
[Sセメスター・Aセメスター]「近世琉球と中国・日本」
(=地域文化研究専攻「アジア太平洋地域文化演習IV」)
近世期(1609-1879年)の琉球は、中国・日本と二重の君臣関係を有しながら、そのどちらにも包摂されずに王国を維持した。この授業では、近世琉球に関わる文献や史料を講読し、琉球および琉球と関わる国や地域を比較し、近世東アジアにおける国・通交・境界・秩序等について議論と考察を深めることを目的とする。今年度は夏秋学期を通じて、琉球が中・日との二重の君臣関係を開始した近世初期の状況を具体的に検討すべく、関連する史料を講読する(*和文・漢文の古文書の解読が授業の主な内容である)。
夏学期には1638年に琉球に派遣された薩摩藩士の渡海日記(『肥後守祐昌様琉球御渡海日記』)を、秋学期は薩摩藩士の史家である伊地知季安(1782-1867年)が薩琉関係の展開についてまとめた『南聘紀考』を講読する予定である。
神話と文化I
(徳盛誠)
[Sセメスター・Aセメスター]「神話テキストの思想史に向けて」
『古事記』『日本書紀』等のテキストとして成り立った古代日本における神話はそののち更新され、再創造されることによって現代に至っている。この授業では、古代以来のテキストの再創造のありようの検討を通じて、神話テキストの思想史を考える。
基層文化形成論I
(田村隆)
[Aセメスター]「駒場の古典籍」
東京大学教養学部にはその前身である旧制第一高等学校・東京高等学校時代の書物が多数所蔵される。試みに東京大学OPAC(Online Public-Access Catalog)詳細検索の「配架場所」もしくは「文庫区分」で「一高文庫」を選んで検索してみてほしい。 ただし、駒場図書館所蔵分や黒木文庫など一部の著名な資料以外については、まだOPACやデータベース等に登録されていない資料も存在する。この授業では一高・東高旧蔵書、特に教養学部国文・漢文学図書室所蔵の古典籍に着目し、どのような資料が所蔵されるのかを通覧し、蔵書印なども手がかりにしながらコレクションとしての性格をともに考えてゆく。書物を通じて旧制高校の世界も併せて垣間見たい。もし可能であれば授業の成果として駒場図書館のロビーで展示を企画したいとも考えている。昨年度も学部の演習で「一高・東高の古典籍」(2017年6月26日~7月14日)と題して展示したが、今学期は『第一高等学校六十年史』に稀覯書として紹介される朝鮮本『朱子語類大全』などのほか、実録物など教養学部設立後に購入した古典籍も調査の対象に含めたい。一高旧蔵書と一高校長を務めた狩野亨吉との関連も検討する。
文化コンプレクシティ演習I
(大石紀一郎)
[Sセメスター]「歴史」の思想と思想史
(=HSP「文化エコロジーII」)
日本語の「歴史」という語をヨーロッパにおけるhistory, Geschichteの翻訳後として捉えた上で、この「歴史」に関する思想の発展とその諸問題について思想史的に考える。

[Aセメスター]近現代ドイツ哲学と規範への問い
(=シニア現代思想「倫理宗教論」/HSP「人間の安全保障演習VII」)
モダニティの状況における規範(行動の指針)への問いが、19世紀から20世紀にかけてのドイツ哲学史の中でどのように問われ、それに対してどのように答える試みがなされてきたかを概観することによって、現代の状況について反省的に考察する。
文化コンプレクシティ演習II
(谷口洋)
[Sセメスター・Aセメスター]漢文読解の実践を通じて、東アジア的思考の基層を考える
(=HSP「社会の自立と共同II」)
受講生による漢文資料の輪読を行う。前年度は、明治日本の漢学者で新聞記者としても活躍した西村天囚(1865-1924)の漢文による著述を取りあげた。今年度もこれを継続してもよいが、むしろ、受講生の専攻領域や興味関心を考慮して選定したいと考えており、中国や、江戸以前の日本の著作をも視野に入れている。
第1回の授業で、受講希望者と綿密な打ち合わせを行い、資料選定と授業方針の策定を行う。第2回以降の数回は、資料蒐集と必要最低限の解説にあて、それが終了してから受講生による輪読に入る。
状況にもよるが、授業の成果は何らかの形で発信することをめざしたい。
文化コンプレクシティ演習IV
(梶谷真司)
[Sセメスター・Aセメスター]「規範に関する歴史哲学的研究」
「規範」について、哲学、社会学、歴史学など、多面的に考察する。
文化コンプレクシティ演習V
(斉藤渉)
[Sセメスター・Aセメスター]カント『実践理性批判』と『倫理の形而上学の基礎づけ』を読む
I. カント(1724-1804)の『倫理の形而上学の基礎づけ』(1785)と『実践理性批判』(1788)は、彼の実践哲学の中核となるテクストです。その思想は、同時代はもとより現代にいたるまで、倫理学や社会哲学などの分野でインスピレーションを与え続けています。
Sセメスターでは、『実践理性批判』第一部第一篇「純粋実践理性の分析論」までを読みます(Aセメスターは、『実践理性批判』の残りと『倫理の形而上学の基礎づけ』)。有名な「定言命法」が論じられるのもこの部分です。授業では、哲学史的背景については必要に応じて触れながらも、カント自身のテクストにもとづいたディスカッションをおこないたいと思います。
Aセメスターでは、Sセメスターからの続きとして、『実践理性批判』第一部第二篇「純粋実践理性の弁証論」以下と『倫理の形而上学の基礎づけ』を読みます。
文化コンプレクシティ演習V
(桜井英治)
[Sセメスター・Aセメスター]日本中近世史料講読
日本中近世史にかかわる史料を講読する。テキストに関しては受講者との相談によって決定する。歴史学・文学・言語学・社会学・文化人類学・民俗学など、さまざまな分野からの受講者を広く期待している。
比較詩学I
(菅原克也)
[Sセメスター]夏目漱石『それから』を読む
(=シニア比較芸術「比較文学論I」)
夏目漱石『それから』を読みつつ、小説のテクストの分析方法や研究史について学ぶ。

[Aセメスター]萩原朔太郎論を読む
萩原朔太郎に関する評論、研究を読みながら朔太郎の詩の読みかた、方法論について考える。ひとつの手がかりとして中村稔『萩原朔太郎論』を精読する。
比較詩学II
(田口一郎)
[Sセメスター]漢詩・漢文(中国古典詩文)の読解
『明七才子詩集掌故』の閲読を通して,古典詩文の読解,古典注釈の方法を学びます。テキストは早稲田大学図書館蔵本
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko11/bunko11_d0153/「明七才子詩集掌故」でgoogle検索をかけると一番上に出てきます)等をweb上で見ることが出来るので,ご確認下さい。
『明七才子詩集掌故』は,明代の古文辞派と呼ばれる詩人たちの詩に,江戸の学者が注釈をつけたものです。
ジャンル交渉論I
(出口智之)
[Sセメスター・Aセメスター]「三人冗語」「雲中語」を読む
森鴎外・幸田露伴・斎藤緑雨による匿名の合評「三人冗語」は、雑誌『めさまし草』に明治29年3月~7月まで連載された。これは近世の評判記の形式を取り、各人が「頭取」「ひいき」「悪口」「むだ口」「真面目」「老人」などの筆名で、各雑誌等に掲載された新作小説を評した批評である。近代では珍しいこうした形式に加え、現在ではほとんど読まれなくなった小説も多く取上げられているため、研究の対象とされる機会は限られている。しかしながら、西洋の思想・文学を基盤とする鴎外、東洋の思想・文学に深い教養を持つ露伴、江戸文人の精神を継いだ緑雨という三者が、明治20年代末の文学状況をどのように捉え、また旧式とも捉えられかねない評判記の形式を取ることで、いかなる批評を達成しようとしたのかを理解することは、明治期の文学を考えるうえで重要な問題につながるだろう。
本授業では、明治20年代末の文学状況を理解し、また草創期の近代批評の性質を考察するため、「三人冗語」を順に読んでゆく。そのためには、当然ながらまず批評対象とされた小説を読むことが必要であり、そのうえで「三人冗語」がいかなる態度に立って、それらの小説のどこを評価/批判しようとしたのかを考える。
AセメスターはSセメスターに続き「三人冗語」を読むが、進度により、尾崎紅葉・依田学海・森田思軒・饗庭篁村らが加わって「三人冗語」の後継となった「雲中語」に移ってゆく。授業内容・方法はSセメスターを基本的に同一である。
比較形象論I
(今橋映子)
[Sセメスター]芸術批評と社会─テクスト分析法
本授業では、「芸術批評と社会」とは何かを問うことを目的とする。それを先ずは具体的に考えるために、明治大正期日本の代表的美術批評家・岩村透のテクストを取り上げる。岩村透は現代に忘却された批評家だが、東京美術学校(現在・東京芸術大学)の初代西洋美術史教授であり、美術雑誌の主幹、そして若い美術家たちをパリ留学に誘った著書を世に送った人物である。岩村は美術批評を単に前衛作家の称揚と捉えず、大逆事件下の言語統制下の時代に、美術批評が作家と一般市民、そして社会の媒介となることをめざした。岩村の批評には、今日で言うアーツマネジメントや文化行政の視点も豊かに盛り込まれている。
1)本授業では、岩村の美術批評についての基本的講義を行った上で、重要テクストを読みながら、現代における「芸術批評と社会」の問題を討論できるレベルに達することを第一の目的とする。
2)第二には、上記の岩村透関連の批評テクストを素材として、文学芸術系テクストを歴史的文脈を踏まえながら徹底的に分析するとはいかなる営為なのか、そのディシプリンを体得することを目的とする。日本近代美術史、文学史、思想史等の間テクスト性を精確につかみ、新しい地平を拓く現場を体験する

[Aセメスター]芸術批評と社会─個別発表のために
本授業は、Aセメスターでの成果(岩村透の事例研究)をもとに、各参加者が自分の研究分野や関心に近いところで「芸術批評と社会」に関する自由なテーマを設定し、それについてまとまった発表をすることを目標とする。発表後の討論も重視する。
また学術的発表に至るまでのプロセスや発表方法、ディスカッサントの役割などについても徹底的に習熟する。
比較ナラトロジーI
(寺田寅彦)
[Sセメスター・Aセメスター]Lire le "Dictionnaire des naturalismes"
« Le Dictionnaire des naturalismes entend proposer une vue d’ensemble du naturalisme en luttant contre les images réductrices ; il donne toute leur place aussi bien aux figures majeures qu’aux « petits » naturalistes ; il envisage le mouvement dans sa dimension internationale, en soulignant une diversité qui n’exclut pas des constantes. L’ouvrage conjugue des approches multiples : étude des thèmes, des formes d’écriture, des sociabilités, histoire de l’édition, réception, postérité,… tout en accordant une grande attention aux questions de définition et de chronologie. » Nous essayerons, à travers la lecture des quelques articles du « Dictionnaire », de mieux comprendre cette diversité des naturalismes, non du naturalisme, et d’analyser la richesse de ce mouvement littéraire.
比較心性論
(永井久美子)
[Sセメスター・Aセメスター]「絵巻物を読む」
『日本絵巻大成』シリーズ(正・続・続々)所収の絵巻物を、適宜読み進めてゆく。
2018年度Sセメスターは、前年度からの続きとして、絵巻大成第1巻所収の国宝「源氏物語絵巻」のうち、鈴虫(二)以降の各段を取り上げる。作品の途中からとはなるが、今年度からの受講をもちろん歓迎する。「源氏物語絵巻」の次に読む作品は、現時点では「寝覚物語絵巻」を予定しているが、受講者と相談のうえ確定する。
2018年度Aセメスターの授業内容は、基本的にSセメスターの作品講読からの継続とするが、Aセメスターからの受講ももちろん歓迎する。次に取り上げる作品は、受講者と相談のうえ決めるものとする。作品を精緻に読み解くことを通して、詞書と絵それぞれの分析方法と、文学、美術、歴史など複数のディシプリンを横断する研究の手法を学ぶ。くずし字の読解能力も身につけることを目指す。
比較文学比較文化演習I
(齋藤希史)
[Sセメスター]東アジア文学史論
(人文社会系研究科「東アジア文学史論」)
漢字圏全体を見わたす文学史的展望のもとに、先秦から唐宋まで、士大夫階層を中核とする古典詩文がどのように成立し展開したのか、その特質を把握する。

[Aセメスター]東アジア人文学の諸問題
(人文社会系研究科「東アジア人文学の諸問題」)
東アジアの人文学にかかわる諸問題について、参加者の問題意識を共有し、討議によって理解を深める。とりわけ、漢字圏における言語や文学、書記や表象にかかわる問題を取り扱う。

比較文学比較文化演習II
(ゴチェフスキ,ヘルマン)

[Sセメスター・Aセメスター]Musikalische Zeitgestaltung
この授業の題目としてあげたドイツ語の「Musikalische Zeitgestaltung」という概念は音楽の創作(演奏と即興を含む)において創作者自身が想像・創造する「音楽的な時間」を意味する。また受容者が体験する音楽的な時間もこの概念に含まれると考えられる。この「音楽的な時間」は拍子、拍、リズム、テンポ、グルーヴ、アゴーギクなど、複数の観点から説明することができる。また、歴史的な音楽論には様々な説明方法が見られる。このテーマを軸に今回のゼミの討論を進めたいと考えている。
比較文学比較文化演習III
(三浦篤)
[Sセメスター]マネと美術史学の方法
美術史学が大きく変わろうとする現在、研究の現場においてどのようなアプローチを採ることが可能か、有効か、適切かという問いに対して、研究者は常に意識を研ぎ澄まさせねばならない。例としてエドゥアール・マネの研究を取り上げ、その現状を学ぶとともに関連する文献を輪読し、その際にはフランス語の読解力が必要となる。後半では、ゼミ参加者自らが取り組む対象やテーマについて、方法論的な意識から研究の現状をまとめて発表し、議論することを予定している。

[Aセメスター]絵画と写真
(=シニア比較芸術「比較文化論II」)
近代に発明された新しい視覚メディアとしての写真は、長い歴史を誇る絵画と密接かつ微妙な関係を取り結んだ。19世紀以降の写真史、絵画史を踏まえながら、写真が絵画に与えたインパクト、逆に絵画が写真に与えた影響、その相互的な関わりを具体的に検討していきたい。Dominique de Font-Réaulx, Peinture et photographie, Les enjeux d'une rencontre, 1839-1914, Paris, 2012などを参考にしながら、絵画と写真が交錯する歴史をたどり、20世紀における写真の自律的表現の確立にいたる経緯をたどっていきたい。
比較文学比較文化演習IV
(伊藤徳也)
[Sセメスター]閻連科研究 〜 日中比較現代文化史研究として
世界史の動きを背景に置きつつ、文学・カルチャーを中心とした近現代中国文化を、近現代日本文化と比較対照させて、時期毎それぞれの日中の現代文化のイメージを歴史的に把握するのが大目標である。
Sセメスターでは、閻連科(1958~)の作品、記録、記事等を読む。閻連科は、一昨年11月に駒場キャンパスを訪れて講演を行った、現在旺盛な活躍を見せている中国の現役作家である。『愉楽(受活)』や『丁荘の夢:中国エイズ村奇談(丁庄梦)』、『人民に奉仕する(为人民服务)』、『炸裂志』、『硬きこと水の如し』あるいは《日光流年》や《四书》を書いた作家が、中国社会と現代文学に対してどのような見方を持ち、どんな態度でいるのか。それが、講演の中からある程度窺えた。また、農村出身でありながら、政治的意識だけではなく、現代の都会的なエチケットや気配りを身につけた国際的な市民でもあることを、その身をもって示してくれた。中国の現実に対する情熱的な観察、圧力をものともせず表現し続けようとする剛直な姿勢、一人の市民としての柔らかな物腰、それらは、私たちに極めて深い印象を残した。いつも書くのは苦しいという彼の作品に対して、もっと幅広く踏み込んだ理解を得たいと思う。そして、20世紀以降の中国社会文化史の中にこの作家を如何に位置づけるのが適当なのかを検討してみたい。

[Aセメスター]竹内好と武田泰淳の戦前・戦中・戦後
(=シニア比較芸術「比較文学比較文化論演習III」)
戦前、戦中、戦後の竹内好と武田泰淳の社会史的文化史的歩みをたどる演習。
二人は東京帝国大学支那文学科で知り合い、1934(昭和9)年、中国の文人周作人訪日歓迎会を機に「中国文学研究会」を設立した。いずれも、中国および中国人と深い関わりを持った。戦中、竹内は『魯迅』(1944年、日本評論社)、武田は『司馬遷』(1943年、日本評論社)を刊行、いずれも、従軍して中国に赴いたことがあり、敗戦を中国で迎えた。戦後、竹内は翻訳家、評論家として、武田は作家として活躍したが、戦後の彼らの著述の一部には、戦前戦中に負ったらしい癒やし難い深い精神的傷が窺える。戦争を含む激動の現代史をくぐり抜けた彼らの体験を、可能な限り、具体的に知りたいと思う。
戦中戦後の悲惨悲壮な生々しい実体験談や見聞録、ルポルタージュは、戦後生まれの私たちの胸を打ち、私たちを激しく揺さぶる。昨今限りなく精緻化するポリティカル・コレクトネスで武装した倫理的言説とは大違いである。そして、大正時代のいわゆる「支那趣味」も、1990年代以降の日本人作家の作品の中の「中国」も、いまひとつ、表面的で軽薄な印象を拭えない。竹内と武田の著述を読むことを通して、日本文学と中国との関わり方をさまざまに考えてみたい。このテーマを今年度から数年間かけてやっていく予定。今年度はそのはじめの一歩として、渡邉一民『武田泰淳と竹内好 近代日本にとっての中国』の精読を通して二人の歩みを確かめていこうと思う。学部生(2〜4年生)と合同で行う合併授業。
比較文学比較文化演習V
(古荘真敬)
[Sセメスター・Aセメスター]アーレント『精神の生活』を読む
アーレントの最後の著作 "The Life of the Mind"の第1巻 Thinkingを、その内容を批判的に吟味しながら、精読していく。「思考」という、われわれ各自の基本的営みをめぐる徹底的な考察を試みていきたい。
超域文化科学特別講義I
(張競)
[Sセメスター・Aセメスター]
十九世紀末から日本と中国の関係には根本的な変化が起り、相手国を見る目も大きく変わりました。相互イメージはその後の政治や外交だけでなく、近代文学のあり方にも大きな影響を与えました。 近代国家間の相互イメージはさまざまな捉え方があるが、この授業ではテクストに表象されたものに焦点をしぼって、文学者や評論家たちは隣国をどのように観察し、また、どのように批評し、あるいは表象したかについて学び、近代日本と中国の知識人が互いに相手国をどのように見ていたかを考察することにより、一九三〇年代後半から終戦までの日中相互イメージや、文学・文化交流の一端を把握できるようになる。
超域文化科学特別講義II
(古田徹也)
[Sセメスター]「人生の意味」をめぐる分析哲学的探究
「人生の意味」というテーマをめぐり、現在、英語圏の哲学(分析哲学)において活発に議論がなされるようになってきている。この授業では、そこで具体的にどのような議論がなされているのかを把握することを目指す。また、それを通じて、この種の実存的なテーマを哲学的に問うというのがどのような営みであるのかを理解することも目指す。
超域文化科学特別講義II
(小池寿子)
[Aセメスター]キリスト教美術に見る死生観
(=シニア比較芸術「比較文学比較文化特殊研究II」)
古代末期から中世後期・ルネサンス期の美術を通じて、キリスト教の死生観を概観する。とくにカトリックの死生観が中心となるが、合わせて宗教改革期以降、近現代の死生観を考察する基礎を学ぶことを目的とする。

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モダニティの状況における規範(行動の指針)への問いが、19世紀から20世紀にかけてのドイツ哲学史の中でどのように問われ、それに対してどのように答える試みがなされてきたかを概観することによって、現代の状況について反省的に考察する。 研究室地図トップページへ
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