連続講義 東アジア古典学のために
7~8世紀の列島の文字世界
乾 善彦[大阪府立大学]
2007/9/3,4
 

はじめに

I.
文字論の原理
  1、文字の基本概念 2、漢字の構造 3、書き言葉と話し言葉
4、漢字による日本語の表記の方法
II.
仮名の成立と展開
  1、仮借と仮名 2、記紀歌謡の仮名と日用の仮名 3、仮名成立の条件
4、仮名から「仮名」へ
III.
日本語文の成立と仮名
  1、仮名の用途 2、口頭語的要素 3、漢文中のウタ表記
4、ウタ表記と日本語文字史

I.文字論の原理

I-1.
文字の基本概念
  機能としての文字:体系としての文字
    〈体系としての文字〉
      言語の二重分節性に対応する考え方
        文―標識・記号  (表意文字(意味対応)?)
           
        語(形態素)―表語文字(語対応文字)
       

  (―表意文字(字義対応・アラビア数字))
→森岡健二「文字形態素論」『日本語と漢字』(2004、明治書院)
        音(音素)―表音文字(音対応文字)
            ―音節文字(仮名)
―音素文字(アルファベット)
 音素音節文字としてのハングル
             
    〈機能としての文字〉
      基本的な機能=表語(ことば=語形と語義と)
        ひとまとまりの文字列として語を表記する
        a、 表意的用法(表語文字の表音機能が極限まで捨象される 不読文字)
        b、 表語的用法(表音文字の表語機能 仮名遣い)
        c、 表音的方法(表語文字の仮名的用法)
             
  (参考) 『漢字による日本語書記の史的研究』(2003、塙書房)第一章第一節
             
    〈3~4世紀の文字資料〉
      三重県松阪市 片部遺跡 「田」の墨書土器 4世紀はじめ(1996.1.21)
      熊本県玉名市 柳町遺跡 「田」ほか 木製の甲止め具 4世紀初(1997.2.14)
      三重県津市 大城遺跡 「奉?」高坏線刻 2世紀前半(1998.1.11)
      福岡県前原市 三雲遺跡 「竟」甕線刻 3世紀中頃
      滋賀県長浜市 大戌亥・鴨田遺跡 「□」(卜カ)甕線刻 3世紀中頃
      長野県下高井郡木島平村 根塚遺跡 「大」墨書土器 3世紀後半
      千葉県流山市 市野谷宮尻遺跡 「久」 3世紀末頃
      cf 三世紀前半の墨書土器 三重 貝蔵遺跡 1997.8.26
東野治之「七世紀以前の金石文」(『言語と文字(列島の古代史6)』、岩波書店、2006)
~機能としての文字の条件を満たすかどうかは疑問
       
    〈舶来の文字資料〉
      1、 金印 漢倭奴國王 cf.後漢書東夷伝 建武中元2(57)年
      2、 東大寺山古墳出土漢中平年中(184~189)銘大刀
「中平□年五月丙午造作支刀百錬清剛上應星宿□□□□」
      3、 鏡銘 cf.魏史倭人伝と景初三年銘三角縁神獣鏡
       
1-1. 青龍三年銘(魏235) 京都丹後大田南五号墳(1994)
1-2.   高槻市安満宮山古墳(1997)
2-1. 景初三年銘(魏239) 和泉黄金塚(1951)
2-2.   島根神原神社古墳(1972)
3-1. 景初四年銘(魏240) 京都福知山広峯十五号墳(1986)
3-2.   兵庫辰馬考古資料館(不明)
4-1. 正始元年銘(魏240) 群馬高崎柴崎古墳(1909)
4-2.   山口竹島古墳(1888)
4-3.   兵庫豊岡森尾古墳(1917)
5. 赤烏元年銘(呉238) 山梨鳥居原古墳(1894)
6. 赤烏七年銘(呉244) 兵庫宝塚安倉古墳(不明)
7. 元康元年銘(西晋291) 伝京都上狛古墳(不明)
      4、 石上神宮七支刀銘 cf.日本書紀神功皇后摂政五十二年
      5、 東京国立博物館「朝鮮出土鉄剣銘」(1990)
        「不畏也□令此刀主富貴高遷財物多也」 cf.東野治之『書の古代史』
      「ことば」との関係において文字は機能する~ことばと文字との関係は不定
 
I-2. 漢字の構造
 
記号一般の構造 記号(signe)=所記(signifie)/能記(signifiant)
漢字の基本構造 漢字の形=義/音(音〈オン〉/訓〈クン〉)
漢字の用法(武田四分類)
  漢字の正用=音読(漢語)〈漢文〉/訓読(正訓・義訓)〈和化漢文〉
  漢字の仮用=音読(借音仮名)/訓読(借訓仮名)
(参考) 「意味と漢字」『朝倉漢字講座2漢字のはたらき』(2006、朝倉書店)
  『漢字による日本語書記の史的研究』(2003、塙書房)第二章第一節
           
I-3. 話し言葉と書き言葉
  言語が音声(音韻)を基本とすること
    F.de Saussure 言語記号=概念/聴覚映像
             
    ~近年、西洋言語学に対する批判の中で、文字表記が抜け落ちていることが指摘されるが、ソシュールは言語研究の対象を固定するために(固定しないと対象が定まらない)、あえて、究極の選択を行ったのであり、その後の対象の広がりは、また当然の結果でもある。
 ことばが文字で書き記されるようになるずっと前から人間のコミュニケーションの手段として、ことばは存在しただろう。日本列島において漢字によってことばが書き記されるようになる以前から、中国語とは異なることばが話されていたことは中国の史書の記すところである。
 したがって、書くことの歴史は、ことばをつなぎとめることの要請から出発する。現代においても、無文字社会が書くことを要請しないのと同様、日本語が日本語を書き記すための文字を生み出さなかったことは、その要請が極めて希薄であったことを物語るし、漢字によって日本語が記されはじめた状況は、中国語との関係を抜きに考えられない。
             
  〈書き言葉の成立〉
    列島のことば「日本語」と公用語としてのことば「中国語」
      *「日本語」と「和語」「倭語」という術語
        ~「日本語」というのは極めてあいまいな概念であり、日本列島において使われている「日本語的性格」を持つ言語くらいの定義しかできない。あえて「日本」にこだわる必要はない。むしろ、これと区別して「和語」「倭語」を使うならそれぞれの限定が必要。もちろんこれは、「中国語」と「漢語」とにもいえる。「漢語⇔倭語」
             
  日本列島においてことばを書き記すことの要請~東アジアにおける政治と文化の状況への観点
      →中国大陸・朝鮮半島・日本列島
    話し言葉としての中国語(白話)と書き言葉としての中国語(文言)=東アジアの共通語
日本列島の状況=話し言葉としての日本語と書き言葉としての中国語(漢文)
      二重構造の結果としての日本語(として)の書き言葉の成立=擬似漢文
      ~日常の話し言葉を書きとめる必要性はまずないといってよい。
      →話し言葉と書き言葉との完全な分離状態からの出発
       
  〈5~6世紀の文字資料〉
  1、 古墳出土品
    1-1. 稲荷山古墳出土鉄剣銘(辛亥年471)
    1-2. 江田船山古墳出土大刀銘 吉川弘文館『江田船山古墳出土国宝銀象嵌銘大刀』(1983)
    1-3. 隅田八幡宮蔵銅鏡銘(癸未年503or443)
    1-4. 岡田山古墳出土円頭大刀銘(1984)「額田部」
    1-5. 箕谷古墳出土大刀銘(1984)「戊辰年(608?)五月中」
    1-6. 稲荷台古墳出土鉄剣銘(1988)「王賜」 吉川弘文館『「王賜」銘鉄剣概報』(1988)
  (参考) 『特別展 発掘された古代の在銘遺宝』(1989、奈良国立博物館)
沖森卓也『日本古代の表記と文体』(2000、吉川弘文館)
小谷博泰『木簡・金石文と記紀の研究』(2006、和泉書院)
    固有名詞の表音表記と字訓の成立
      漢字の表音用法(中国語における外国語表記の方法、後述)
      「獲」「半」「足」「今」(有韻尾字、連合仮名・二合仮名)
      字訓の成立
      「臣」「費直」「穢人」「額田部」
      ~この2点が日本語を書きあらわすための萌芽である。(後述)
  2、 造仏銘
    2-1. 東京国立博物館蔵 光背(法隆寺旧蔵) 甲寅(594)年 続3
    2-2. 東京国立博物館蔵 菩薩半跏像  丙寅(606)年 正1
    2-3. 法隆寺蔵 釈迦如来及脇侍像  戊子(628)年 続1
    2-4. 東京国立博物館蔵 観音菩薩像   辛亥(651)年 続2
    2-5. 根津美術館蔵 光背(観心寺旧蔵) 戊午(658)年 続4
    2-6. 野中寺蔵 弥勒菩薩像 丙寅(666)年
    2-7. 鰐淵寺蔵 観音菩薩像 壬辰(692)年 続6
    2-8. 法隆寺蔵 銅板造像記 甲午(694)年 続7
    2-9. 長谷寺蔵 観音菩薩像 壬歳(702)?
  (参考)    
    2-10. 法隆寺金堂釈迦三尊像 法興元31年 正3
    2-11. 法隆寺金堂薬師如来像 丙午年    正2
    2-12. 法隆寺金堂二天像        正1
  (造像銘逸文)  
    a、 元興寺丈六光銘 乙丑(605)年  『元興寺縁起』所収
    b、 西琳寺弥勒菩薩像 宝元五(659or719)年 『西琳寺縁起』所収
    c、 石清水八幡宮釈迦仏 丁酉(697)年?『石清水文書』「石清水八幡宮御事」所収
    d、 金銅観音菩薩像銘拓本 白鳳時代  旧拓『飛鳥・白鳳の在名金銅仏』所収など
   
cf、
飛鳥・白鳳の在名金銅仏 奈良文化財研究所飛鳥資料館(1989)
      東野治之『書の古代史』(岩波書店、1994)
      ~古墳出土品と造仏銘の共通点、縁起と願文(という定形)が書くことを要請したか。ただし、特殊な位相に限られる。
           
  〈日本語を日常的に書くことの必要性〉    
  律令制下の文書主義=日用文書の必要性    
    正式文書としての正格漢文~高い識字層による
    律令制の普及~高くない識字層の出現→ことがらを伝えるための書き言葉の要請
  正倉院文書や文書木簡など日用文書の文法(後述)
      日本語と中国語との語順の違いの認識
      「訓」を介した中国語の用法との差異
      ~漢字で書くということ(文字に書くということ)はとりもなおさず漢文であった
  (参考)      
    釘貫亨「「文書主義」の概念と日本語表記の成立」(『日本語論究四』1995、和泉書院)
    桑原祐子『正倉院文書の国語学的研究』(2006、思文閣)
  古代の言語生活については、次の3篇を参照
      山田俊雄「萬葉集文字論序説」(萬葉集大成言語篇、1955.5)
      池上禎造「萬葉人の言語生活」(萬葉集大成言語篇、1955.5)
      橋本四郎「古代の言語生活」(講座国語史 六 文体史言語生活史、1972.2)
             
I-4. 漢字による日本語表記の方法
  正格の漢文(中国語訳)← * →仮名書き(日本語の形をそのまま借音表記する)
  *いわゆる変体漢文(和化漢文、擬似漢文)
      漢字を使用することによる中国語文と日本語文との間のさまざまの変異体
        和習の漢文、漢字仮名交じり/日本書紀と古事記あるいは風土記
    ~実はこの程度にしか分けえない。
      また、この分け方は、左が文体(ことば)の問題、右が表記体(文字)の問題、であり、その、出発から矛盾をはらんでいる。
             
  漢字の用法による分類原理
    ①漢字の表語用法を文章表記の基本とする
    ②漢字の表音用法を文章表記の基本とする
      ~全ての文章を①と②との中間的なものとして個々に位置づける
        ここでは「文体」とい概念は一応保留すべき
        「表記体の変換」ということの可能性を待って「文体」を考える
             
  古代表記体の分類(沖森卓也『日本古代の表記と文体』)
      漢文  
        略体和文(いわゆる変体漢文)
      和文 非略体和文 宣命体
          漢字仮名交じり
        仮名文
  ~沖森は、書かれている言語の問題として、「漢文」と「和文」との二つにまず分け、表記体を和文のみの問題として下位分類をほどこす。すっきりしているが、「漢文」と「和文」の境界、「部分的宣命書き」の位置づけ、が問題となろう
             
  ある文体がひとつの表記体しか選択できない場合、そこには文体と表記体の不即不離の関係があることになる。そこでは、文体ないし表記体を分けて考えることはできない。毛利正守のいう「倭文体」が表記体と文体とを区別しないように見えるのは、そのことによるか?
             
  しかしながら、古代の漢字専用時代においても、先に見た、漢文と仮名書きとの対立は、「表記体の変換」ないし「表記体の選択」を可能にする。それは、文体のことなりとは区別すべきものである。
             
  「表記体の変換」とは、基本的には、三宝絵の3伝本や、平家物語の諸本による表記体の異なりを許容する現象をいう。しかし、万葉集歌においても、仮名で書くか訓字で書くかの選択が可能な場合、歌ないし歌集を、一つの作品、一つの文章としてみた場合、これも「表記体の変換」といえよう。
             
  ①人麻呂歌集
  ア、巻三羈旅歌八首(249~256)と巻十五の異伝(3606~3610)
珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴(③250)
      一本云 處女乎過而 夏草乃 野嶋我埼尓 伊保里為吾等者
  多麻藻可流 乎等女乎須疑弖 奈都久佐能 野嶋我左吉尓 伊保里須和礼波(⑮3606)
    柿本朝臣人麻呂歌曰 敏馬乎須疑弖 又曰 布祢知可豆伎奴
  荒栲 藤江之浦尓 鈴寸釣 白水郎跡香将見 旅去吾乎(③252)
      一本云 白栲乃 藤江能浦尓 伊射利為流
  之路多倍能 藤江能宇良尓 伊射里須流 安麻等也見良武 多妣由久和礼乎(⑮3607)
    柿本朝臣人麻呂歌曰 安良多倍乃 又曰 須受吉都流 安麻登香見良武
  天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見〈一本云 家門當見由〉(③255)
  安麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久礼婆 安可思能門欲里 伊敝乃安多里見由(⑮3608)
    柿本朝臣人麻呂歌曰 夜麻等思麻見由
  飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船(③256)
      一本云 武庫乃海 舶尓波有之 伊射里為流 海部乃釣船 浪上従所見
  武庫能宇美能 尓波余久安良之 伊射里須流 安麻能都里船 奈美能宇倍由見由(⑮3609)
    柿本朝臣人麻呂歌曰 氣比乃宇美能 又曰 可里許毛能 美太礼弖出見由 安麻能都里船
   
  イ、東歌の異伝
  麻等保久能 久毛為尓見由流 伊毛我敝尓 伊都可伊多良武 安由賣安我古麻(⑭3441)
    柿本朝臣人麻呂歌集曰 等保久之弖 又曰 安由賣久路古麻
  遠有而 雲居尓所見 妹家尓 早将至 歩黒駒(⑦1271)
      右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
  安比見弖波 千等世夜伊奴流 伊奈乎加母 安礼也思加毛布 伎美末知我弖尓〈柿本朝臣人麻呂歌集出也〉(⑭3470)
  相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓(⑪2539)
  *訓字歌巻の異伝注記は訓字主体で、仮名書き歌巻の異伝注記は仮名書き主体で統一されている。
    ~それぞれの巻によって、意図的に表記を統一している。巻の編纂方針によって表記体の変換が行われている。
    →ウタについては文体と表記体は区別しなければならない。ウタの表記において「倭文体」は成立し得ない。

II.仮名の成立と展開

II-1. 仮借と仮名
      『日本書紀』は中国史書の伝統的な文体にならって本文を漢文体で書き、訓注と歌謡を仮借で書く。『古事記』は日本語の文であることをめざして本文を独特の変体漢文で書き、訓注と歌謡を万葉仮名で書く。『万葉集』の和歌どものうち、(中略)漢字を訓で用いるか万葉仮名で用いるかが整理され、万葉仮名として用いる字体が特定されて、今日の漢字仮名交じりに近付いている。(犬飼隆『木簡による日本語書記史』136頁)
             
    (毛利)歌謡の書式の意味ですが、両書のうち、日本書紀のほうでは所謂漢語という中国語の中における倭歌であり、あるいは訓注語もそうですが、外国語である日本語を記すということにおいて倭歌が仮名書きになっているといえます。それに対して古事記のほうは全体が倭文体であって、つまりそもそも本文も歌謡も倭文であり、その倭文体の中での歌謡の仮名書きの意味が問われるべきであって、それは本文の仮名書きと共に、歌謡の仮名書きは倭文の中でも特に語形の明示というところにあると考えます。(『萬葉語文研究』第2集「座談会 萬葉学の現状と課題―『セミナー 万葉の歌人と作品』完結を記念して―」(22頁))
  ~ たしかに、日本書紀は基本的に中国語文であり、とくに森博達『古代の音韻と日本書紀の成立』(1991、大修館書店)のようにα群の書記者に中国語のネイティブを想定するならなおさら、歌謡も含めてすぐれて中国語文なのであり、漢字の用法としては原理的には「仮借」ということになる。しかし、古事記の文体に対して、漢文といわゆる変体漢文との間に連続性をみとめる観点(注2)からは「漢文ないしいわゆる変体漢文中の日本語要素の表音表記」という点において、基本的には差はない。むしろ、それよりも当時にあってすでに「仮名書き」の方法がある程度の広がりを持っていたことに注意しておくべきである。記紀の間で共通する字母が用いられ、それが多くの資料と共通することは、日本語の音を書き記すのに共通の基盤があったことを物語る。
             
  〈記紀歌謡の共通仮名字母〉
    ①紀α群β群の三者共通(*は濁音仮名)
      阿・伊・宇・於・岐・紀・疑*・古故・佐・斯志・須・蘇・曽・多・陁*・知・都・豆*・弖・斗・登等・那・尓・奴・泥・能・波婆・比・弊・倍・麻摩・弥・微・牟・母・夜・用・余・羅・理・流留・礼・呂・和(四十四音節五十字母)
    ②記α共通
      世・豆・婆*・美・与・盧(六音節六字母)
    ③記β共通
      加・芸*・久・具*・祁・気・許・士*・受*・勢・叙*・刀・迩・怒・布・夫*・幣・閇・倍*・煩*・売・毛・由・延・漏・韋・恵(二十七音節二十七字母)
  ~これらの字母を万葉集の仮名書歌巻と対照させると、わずかに「泥・幣・韋・盧」の四字母のみが仮名書歌巻に見られないのみである。巻五とのみ一致するものを考慮しても、「陁*・斗・微」の三字母を追加するに過ぎない。
             
  〈正倉院仮名文書の使用仮名〉
      阿・伊※・宇・於・可加・支伎・久※・気・古※・己※・佐※・之・須・蘇・序*・多太・知・都※川※・天弖・止※・奈※・尓※・奴・祢・乃※・波※・比・非・布不・部※・保・末万・美・牟・米・毛・夜※・由※・与・良・利※・流・礼・呂・和・恵・乎
        (訓字と思われる「田・日」はのぞく。※は「なにはづ木簡」にみえるもの)
    ①共通するもの
        阿・伊・宇・於・加・久・気・古・佐・須・蘇・多・知・都・弖・尓・奴・波・比・布・美・牟・毛・夜・由・与・流・礼・呂・和・恵(三十一音節三十一字母)
    ②同じ音節があらわれるが、共通しないもの
        支伎―岐・己―許・之―斯志・止―登等・奈―那・祢―泥・乃―能・部―倍閇・末万―麻摩・良―羅・利―理(十一音節十三字母)
    ③同じ音節で他に共通する字母があるもの
        可・太・川・天(四音節四字母)
    ④対照すべき音節がないもの
        序・非・米・乎(四音節四字母)
  ~②のうち、「之・奈・祢・末・利」は紀にみえて記にみえないもの、「伎・良」は記にみえて紀にみえないもので、すべて万葉集仮名書歌巻七巻に共通してみえる。また、「己・乃」は記紀歌謡にはみえないけれど、万葉集仮名書歌巻七巻に共通してみえる。
 ③の「可」、④の「米・乎」も記紀どちらかにみえないものであり、やはり万葉集仮名書歌巻七巻に共通してみえる。「序」は音節自体が記紀歌謡にあらわれないものである。「非」は万葉集仮名書歌巻七巻に共通してみえる。残る②の「支・止・部・万」、③の「太・川・天」が、「実用の仮名」に特徴的にみとめられるとされるものである。
    →記紀歌謡にも「実用の仮名」が含まれることは、その背景に「実用の仮名」に代表されるような漢字の表音用法に対する基盤的な共通認識があった。「基層の仮名」の想定。すべての仮名書きは、「基層の仮名」からの個別のあらわれと考える。
II-2. 仮名の条件
  〈有韻尾字の仮名〉
      韻尾の処理法
      韻尾を省略する=略音仮名=一字一音節に対応
      韻尾に母音を付加する=二合仮名=一字二音節に対応
      韻尾と次の頭音とを関係づける=連合仮名=二字二音節もしくは三音節に対応
  〈連合仮名と二合仮名〉
    稲荷山古墳出土鉄剣銘「獲居」「半弖比」/「足尼(スクネ)」
    「なにはづ木簡」の「作○・泊×」
    記紀歌謡の入声韻尾字
      α群(五字種七例)「楽(ラ)×」「必(ヒ)×」「捏(デ)二例×」「作基泥(サキデ)○」「賊據(ソコ)○」「捏羅賦(ネラフ)○」
      β群(六字種十三例)「憶、乙、作、末(二例)○」「吉、末、捏(六例)×」
      記(入声韻尾字を用いない) cf.「當藝麻」(-ng韻尾)
  ~連合仮名と二合仮名は、漢字の側からすれば、漢字の構造に即した方法であり、古くからその例が見える。これに対して、日本語の側に立てば、卵と鶏の関係に似た面もあるが、開音節構造の分節が、一字一音化を指向するようになる。「仮名」が一字一音に向かうとすると、二合仮名・連合仮名は、仮名の展開の中で捨象される運命にある。逆にいえば、二合仮名・連合仮名の動向が、「仮名」成立の重要な要件をもたらすことになる。連合仮名・二合仮名から略音仮名への流れが、「仮名」の成立へとつながるのである。
             
  〈仮名成立の条件〉
      「漢文の規則的な翻訳方法が成立する以前にあって、並んだ表意の文字列をたどりながら文の意味が理解されることを通して、逆に「宮=みや、児=こ」といった個々的な対応が成立する。訓字がそこに成立し、そしてそれを媒介として、あたらめて「斯鬼」は地名シキの表記としてあることになる。単に表音文字であることから仮名への過渡がそこにある。」(一九頁)
      「倭語としての語(固有名でも)が中国語から表音的に写されるのではなく、まさしく倭語として、意識的に内部から表音的に表記される時、その文字は現象としては漢字であっても、倭語の音節を一義的に表しているということにおいて、狭義に漢字なのではない。訓字と並んで倭語を表す文字、それこそ萬葉仮名と呼ばれる仮名文字である。」(二四頁)
        内田賢徳『上代日本語表現と訓詁』(二〇〇五、塙書房、初出「漢字と仮名」『漢字講座』(二〇〇五、朝倉書店))
            ~音節の分節とともに、和訓の成立と音訓の分化とが、仮名成立の重要な用件になる。
    漢字音を日本語音としてとらえ、漢字一字に対して一ないし二つの音と対応させること(日本漢字音の成立、日本語の音節の開音節性の自覚、連合仮名の捨象)
    漢字の語義が日本語のどのようなかたちと対応するかということの発見(字訓の成立、借訓仮名の成立)
    日本語自体の「語(形態素)」を分節(書く対象、「表語」すべき単位の発見)
      形態素の分節は、単に漢字と物の名との対応のみからは生じない。漢文訓読により、中国語と日本語との差異を自覚することが必要となる。そこに、仮名でもって日本語のどのような要素を書きあらわさねばならないかという自覚が生まれる。つまり、日本語の語形表示の必要性が生じるのである。訓字で表意的に書きあらわすことと、仮名で表音的に書きあらわすこととの対比において、内田がいうように、「訓字と並んで倭語を表す」ところの仮名の資格がある。
    〈仮名から「仮名」へ〉
    「表現文字としての平仮名は、何よりもその抽象性において考えられねばならない。表語性の払拭、つまり表音文字(音節文字)としての(平)仮名の成立は、文字自体が先走って余剰の意味やイメージを結ぶことを抑える。(中略)意味や形に対するある抽象性格こそが、平仮名を、表記文字ならぬ表現文字にまで到達させているのである。もはや文字に表記するのでも、また対照的に、文字を表現するのでもなく、文字において表現がある、すなわち文字に表現することが、そこに成立するのである。」(一八一頁)
      川端善明「万葉仮名の成立と展相」『日本古代文化の探求 文字』(一九七五、社会思想社)
             
    日本語音節との、そしてそれだけとの固定的な対応
    音仮名、訓仮名の仮名としての均質化が進んだのであろう
    字体の比較的単純なものが選ばれている
    清濁の区別が緩いことや、上代音韻に存した母音二類の表記に混乱の存すること
  川端は、実用における仮名に、「ある抽象性」を持つ平仮名との連続を考える。この条件は、犬飼隆『木簡による日本語書記史』(二〇〇五、笠間書院)のいう「日常ふつうの仮名」であり、築島裕『日本語の世界 5 仮名』(一九八一、中央公論社)は具体的に「文書・記録の世界」での仮名使用とする。これらが直接、平仮名に連続している。

III.日本語文の成立と仮名

III-1. 仮名の用途
  〈日本語の要素の仮名書き〉
  1. ものの名
  藤原宮木簡
  阿遅 阿由(鮎、年魚) 伊委之(鰯) 加麻須 佐米 須々支 多比、田比(鯛) 知奴 尓閇 布奈(鮒) 伊貝 河鬼(蠣) 富也 伊加(烏賊) 宇尓 伊支須 奈乃利毛 乃利 弥留(海松) 米(軍布) 尓支米 毛豆久
平城宮木簡に比べて仮名書き語が多い(小谷博泰『正倉院文書と木簡の国語学的研究』(一九八六、和泉書院))。小谷『木簡・金石文と記紀の研究』(二〇〇六、和泉書院)では、「伊加比」(難波宮)→「伊貝」(藤原宮)→「貽貝」(平城宮)のように、音仮名表記→音訓交用表記→訓字表記の流れを史的変遷ととらえ、「漢文→和化漢文→宣命体」の流れを否定して、「和風傾向から漢文的傾向への流れ」を想定する。
             
  2. 会話部分の仮名書き
  世牟止言而□(飛鳥池木簡)
  □ 詔大命乎伊奈止申者(藤原宮木簡)
    会話部分の前後を含めて仮名書きされる。(仮名だけが小さく書かれることはない)
「ことば」を写す~会話部分の周辺に仮名が使用されやすいこと
             
  3. 漢文学習における日本語との対応
    逐字対応と文節単位の対応と
             
  誣阿佐ム 加ム移母(北大津遺跡)
             
    逐字対応と文節の発見が、助詞助動詞の分節につながる→宣命書きの成立
 漢文助辞と助詞助動詞の対応
      者(は)、而(て)、之(の・が)、於(に)、不(ず・じ)、将(む)、可(べし)など
      於(に) 左目於黒子・鼻太乎理尓黒子(東南院文書、天平勝宝二年)
      之(の) 右脇於黒子一 宇奈自之左黒子一(東大図書館蔵、天平勝宝三年)
        不倒の「於」、借音仮名に続く「之」、者(は)、而(て)はウタ木簡に見える
             
  4. 正倉院文書部分的宣命書きにあらわれる助詞助動詞
    助動詞
    「キ」7例(終止5(支云2例を含む)、連体1、已然1)/「ム」1例
    助詞
    「ニ」9例(ニモ2例、多米尓1例を含む)/「モ」7例(トモ3例、ニモ2例を含む)
「ト」6例(トモ3例を含む)/「ヲ」5例/「ノ」1例/「テ」1例
    接尾語
    「ク」3例(すべて「云ク」)
    他に自立語としては「云(いふ)」3例(支云2例、止云1例)がある。助詞助動詞を分節できた証拠であり、そこに日本語特有の要素の自覚がある。
文章の表記としては、仮名書きは口頭語要素と深く関係している。毛利がいうように漢文に対する「外国語」としての「口頭語」という原理。
             
III-2. 口頭語的要素
      然、上古之時、言意並朴、敷文構句、於字即難。已因訓述者、詞不心。全以音連者、事趣更長。是以、今、或一句之中、交用音訓、或一事之内、全以訓録。(『古事記』序文)
    安万侶がとりえた方法は、「敷文構句」ような正格の漢文、「因訓述」、つまり訓字表記(日用文書の方法、いわゆる変体漢文)、そして「全以音連」仮名書きであった。つまり、安万侶にとって、正倉院仮名文書のような「全以音連」もひとつの選択肢としてあったことになる。
そんな中で「交用音訓」の部分は、固有名詞と会話部分に集中する。これは、当時の仮名書きあるいは宣命書きが、会話部分に偏るのと同じ方向として考えられる。地の文における仮名書きも、口頭語要素としての「和語」の部分、日本書紀の訓注と通じるところがある。
    (参考) 拙稿「古事記の文章と文体―音訓交用と会話引用形式をめぐって―」(国文学47巻4号、2002.3)
             
    安万侶がとった方法は、正格の漢文(敷文構句)を選択せず、また「全以音連」も選択せず、日常文書の方法である「因訓述」を基本として選択した。そして、「交用音訓」とは、漢文化しにくい日本語の要素(=口頭語的要素)を仮名書きによって本文中におさめることであり、漢文の日本書紀がそれを回避したのと方向を異にする。(その方法も漢文の方法としてありえた。固有名詞、割書きなど)
 毛利正守「日本書紀の漢語と訓注のあり方をめぐって」(萬葉語文研究1、2005.3)は、日本書紀の方法としての、中国語文とそこに含まれる外国語としての日本語との関係において、訓注と翻訳語としての漢語との関係をとく。しかしながら、その事情は古事記においても変わるものではない。それは、日本語散文を書くときの二つの選択肢に他ならない。
             
     借音仮名に対して借訓仮名は漢文として同化しうる。
      脚日木此傍山牡鹿之角〈牡鹿、此云左烏子加〉挙而吾儛者(顕宗天皇即位前紀)
五十隠山三尾之竹矣訶岐〈此三(二)字以音〉刈末押縻魚簀如調八絃琴(記清寧条)
   拙稿「記紀のウタと木簡の仮名」(2006.1、国文学51-1)
    これは、漢文に同化するための一つの方法であった。万葉集の訓字主体歌巻と軌を一にする。
  仮名書きが口頭語的=和語(日本語) 日本語とは話し言葉であり、書き言葉は漢文(中国語)
  仮名書きも書き言葉としてみた場合、漢文の仮名書きに傾いた一つのあらわれと解することができるか?~
             
III-3. 漢文中のウタ表記
  漢文中のウタ表記(*は非定型)
    『常陸国風土記』漢詩訳 一首/割書き仮名書き 三箇所五首/仮名書き 二箇所三首
 『播磨国風土記』仮名書き 一首/真名書き 一箇所二首*
 『肥前国風土記』仮名書き 一首
 風土記逸文 仮名書き 丹後・志摩・肥前/真名書き 播磨*
 『続日本紀』真名書き 一首/仮名書き 二箇所五首/宣命書き 二箇所二首(*一首童謡、一首宣命中)
 『日本後紀』仮名書き 二箇所二首(一首定型の童謡)
 『続日本後紀』仮名書き 一箇所二首/宣命書き 二箇所二首(*一首童謡、一首長歌)
 『日本三代実録』宣命書き 一首(*童謡)
 『日本霊異記』割書き仮名書き 上巻 二首 中巻 二首(*一首非定型童謡)/宣命書き 七首(*童謡、一首定型、『日本後紀』の定型の童謡)
 『将門記』割書き真名書き 一箇所三首
 

風土記は国によって異なるが、常陸の割書きは漢文の注形式のならったものと解することができる。
史書においては、続日本紀の真名書き歌一首を除くと、定型の短歌が仮名書き、非定型歌(長歌を含む)が宣命書きという区別が考えられる。
霊異記の上中巻の割書きも常陸国風土記と同じ形式。ただし、借訓仮名を含む。霊異記の上中巻の割書きも常陸国風土記と同じ形式。ただし、借訓仮名を含む。

    「漢文中に外国語表示同様の方法で日本語要素を組み込む記紀のウタや、注記として漢文と区別する常陸風土記のウタが、音訓を厳密に区別し、借音仮名のみで記されるのとは異なり、漢文とは無関係に独立して仮名書きされているウタが漢文の注記として組み入れられていると考えることができる。仮名書きであることで、漢文中に注として組み入れられているだけで、そこにはもはや、中国語文中に外国語としての日本語部分を借音表記するという、音訓の対立的な意識は感じられない。ウタが漢文中にあるから仮名書きなのではなく、仮名書きのウタが漢文中に組み込まれているのである。」(拙稿「古代ウタ表記の一展開―漢文中のウタの記載方法をめぐって―」(言語文化学研究 日本語日本文学編第1号、2006.3))
  下巻は童謡の記載であり、宣命書きを採用することは、史書に通じる。
             
  将門記では割書きが採用されるが、訓字主体となっている。
    「日本語を書き記すための表音文字としての「かな」成立以降、古今集に代表されるように、ウタを記すのがもっぱら「かな」であり、漢字ならびに漢文と完全に分業されるようになると、漢文中に同化できるのは、表音用法としての仮名(真仮名)あるいは「かな」(平仮名)ではなく、むしろ漢文的な真名書きではなかったか。新撰万葉集が漢詩との関係で真名書きされたことが思い合わされる。」(同上拙稿)
       
  〈宣命書きと漢文との関係〉
  =口頭語的表現~古事記の仮名書き部分、風土記・延喜式等における宣命書き部分
 漢文中のウタ表記=記紀歌謡の方法の継承と風土記の宣命書きの方法
  語形の保持、定型がウタのヨミを保証する→日常のウタのやり取り
  宣命書きによる童謡の意義→歌意の表明と口誦性の表現
     
  宣命書きによる内容重視と仮名書きによる語形重視の二つの方法が、漢文中に日本語要素を組み込む方法として9世紀にはあった。漢文中のウタの書記方法は、仮名の成立にかかわってさまざまの様相でもって展開する。
             
III-4. ウタ表記と日本語文字史
  〈ウタが仮名で書かれること〉
  会話部分に仮名書きがあらわれることと、ウタが仮名書きされることとは、無縁ではない。どちらも、口頭語的要素を表音的に書き表したものとして一括できる。木簡に見られる仮名書きの中で、ウタ木簡のしめる位置は大きなものがある。
 日用文書がいわゆる変体漢文を基本とするのは、文書主義による律令制における、ひとつの規範であった。そこでは、ことばの「かたち」まで正確にあらわす必要はない。これに比べると、ウタの記録は、そのことばを「かたち」のとおりに「うつす」必要があった。
  「文」あるいは「文章」を、ことばの「かたち」どおりにうつすことの必要性は、ウタあるいは歌謡においてまず生じた
             
  寄り道〈ウタの表記と語形〉
    字余りとは、まさに字余りであり、音の面、つまり詠唱上の定型(五七のリズム)は、守られている。毛利が指摘する、字余りの偏在と、その性格の異なりについても、結局のところ、音数率は守られるところに、字余りの本質はある。文字の機能は表語であるという大前提にたてば、当然のことであり、具体的音声を表現しないところに、ことばを「うつす」ことの本質を見る。字余りとは、分節される語の語形の保持の結果である。そう説明することで、「に・あり」と「なり」との語形のゆれも、それを逆に利用した分析的表記「春之在者(はるされば)⑩1826,1897」や脱落想定表記「亦打山(まつちやま)①55③298」「益卜雄(ますらを)②117、益荒夫(ますらを)⑨1800」も、統一的なとらえ方が可能である。後世、古今集や新撰万葉集の伝本の中に、「こそありけれ→こさりけれ」「ぞある→さる」という、まさに音写したような語形がみとめられるのも、そのことを裏付ける。仮名で書くことの本質な意味も、表語ということを前提にある。
             
  〈ウタ木簡の諸相〉(比較的まとまったもののみ)
  奈尓波ツ尓作久矢己乃波奈(観音寺遺跡)
  奈尓皮ツ尓佐久矢己乃皮奈泊由己母利伊真皮々留ア止/佐久□□(藤原京)
  ×児矢己乃者奈夫由己□利伊真者々留部止
  ×夫伊己冊(母?)利伊真役春部止作古矢己乃者奈(平城京)
  はルマ止左くや古乃は□(高岡東木津遺跡・9世紀)
  止求止佐田目手□□/□久於母閇皮(飛鳥池遺跡)
             
  目毛美須流安(レ)保連紀我許等乎志宜見賀毛美夜能宇知可礼弖□(平城宮)
             
  玉尓有波手尓麻伎母知而/□□波□加□□□(平城宮)
  津玖余々美宇我礼□□(平城宮)
  阿万留止毛宇乎弥可々多(平城宮)
  波流奈礼波伊河志並万/由米余伊母波夜久伊和万始□止利河波志□(秋田城)
    訓仮名を交える、訓字を交える 万葉集との類似と差異
  〈万葉集とは異なるウタの仮名書き世界があった〉
  (参考) 白馬鳴向山 欲其上草食/女人向男咲 相遊其下也(飛鳥池遺跡)
        □家之韓藍花今日見者難冩成鴨(正倉院文書)
        春佐米乃 阿波礼~(正倉院文書)
  八木京子「難波津の落書―仮名書きの文字資料のなかで―」(国文目白44、2005.2)、「音仮名と訓仮名を交えた表記―万葉集仮名書き歌巻と和歌木簡資料を中心に―」(日本女子大学文学部紀要54、2005.3)、「上代文字資料における音訓仮名の交用表記―難波津の歌などの木簡資料を中心に―」(高岡市万葉歴史館紀要15、2005.3)
  〈万葉集の仮名書き歌巻と訓字主体歌巻の仮名使用〉
   巻十四の義字
  河泊(カハ・川)、古馬(コマ・駒)、乎登女(ヲトメ・乙女)、物能(モノ・物)、楊奈疑(ヤナギ・柳)、水都(ミヅ・水)、思鹿(シカ・鹿)、久草(クサ・草)、宇馬(ウマ・馬)、孤悲(コヒ・恋)
在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日(②87)
吾屋戸尓 鳴之雁哭 雲上尓 今夜喧成 国方可聞遊群(⑩2130)
不念尓 妹之咲舞乎 夢見而 心中二 燎管曽呼留(④718)
大夫跡 念流吾乎 如此許 三礼二見津礼 片念男責(④719)
仮名の複線構造~漢字であることを最大限利用した表現、戯書、略書に通じる
             
戯書や多重表現が巻19や仮名書き諸巻にはみられないことは、仮名成立への階梯ととらえられる
             
  〈仮名による散文―日本語散文文体の獲得〉
仮名書き散文資料
 正倉院仮名文書
 二条大路木簡
  進上 以子五十束 伊知比古一□〈和岐弖麻宇須多加牟奈波阿□(都)/止毛々多□(无)
  比止奈□(志)止麻宇須〉(平城京二条大路)
歌以外の可能性のある木簡
  □止你乃止(難波宮)
  留之良奈你麻久/阿佐奈伎尓伎也(石神遺跡)
  □不能食欲白
  恵伊支比乃(藤原京)
  □田佐波利弖伊加田良□尓□□良□(平城京二条大路)
二条大路木簡の「まうす~とまうす」の双括形式
奥村悦三による、仮名文書や宣命に漢文訓読的要素があることの指摘=ある程度「表記体の転換」がおこないえた
    漢語漢文の直訳的語法~意識の中に漢文ないしいわゆる変体漢文の文書形式がある
    書き言葉としての漢文ないしいわゆる変体漢文(疑似漢文)の存在
      これを日本語文と呼ぶか漢文と呼ぶか?
この双括形式は、平安時代仮名文学作品にまで受け継がれる。
             
  〈疑似漢文から和文へ〉
初期の平仮名散文
  古今集仮名序と土佐日記/仮名消息~これらのも漢文訓読的要素が指摘されている。
  日本語散文は漢文ないしいわゆる変体漢文を下敷きにして成立している
〈日本語の表現文字である平仮名の成立を待って、真の意味での日本語散文の文体が確立する〉
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