コロンビア大学 ワークショップ
ワークショップへの感想
デイヴィッド・バーネット・ルーリー
[コロンビア大学東アジア言語文化学部、日本史日本文学准教授]
 

ワークショップで神野志教授が担当された部分のモデルとなった実際の「調べる授業」に参加した経験のある私にとって、この授業の体験がいかに大切なものであったかということを再認識しました。神野志教授の発表を通じて、学生と同僚がその授業の様子を感じとることができて嬉しく思います。教授のお話の核心は非常に教育的なものでした。最新の注釈書や参考図書の記述に安易に依拠するだけで、自ら「必死に手を動かして」答えを探そうとしなければ、イメージ、故事、あるいは表現方法を理解したとは言えないのです。「中国の影響」といった古い概念を改め、共通の超域文化圏という、より生産的なかたちで捉えようとする神野志教授の学問的関心が、学生に対する熱心な関与のなかからいかにして生まれ、その教育法に組み入れられているのかを見るのは、私にとって胸が躍る心地がしました。

発表に付随したお話のなかで印象的だったのは文学研究における出典の時代性に関わる問題です。時代的に遅れて成立した著作に関しては受容や影響といった問題に限定して扱う傾向がありますが、神野志教授は発表で「夜の錦」(『古今集』297番歌)のイメージを『古今和歌集』以後の注釈(特に『和漢朗詠集』の古注)において念入りにたどることで、後世の著作が、先行する用例の背後にある思考と連想のネットワークに対する貴重な見通しを与えることができるということを思い出させてくれました。これは文学の伝統的概念である時代区分や、ジャンルおよびトポスの発展といったものを否定するものではありませんが、時代横断的な継続性と、その継続性によって先行する著作の解釈が可能になるということに一層の注意を払うように奨励するものだといえます。

齋藤教授の発表も非常に示唆に富み、教育的なものでした。日本古代史と文学を学ぶほかの学生と同じように、中国古典の原典ではなくて『芸文類聚』や『初学記』といった類書からの孫引きが行なわれていたという事実には私も慣れ親しんでいました。しかし、齋藤教授のお話は類書の世界がいかにより広く深いかということを認識させるものです。類書の歴史とその発展について貴重な概観を示された上で、『芸文類聚』の一節を精読することを通じて、中国の文学作品の読みかたを学ぶにあたって類書がいかに重要であるかを教えてくれました。

『荘子』などの原典との比較によって、元来の言い回しや内容的要素がどのように変化したかというだけでなく、これらの変化の多くは文体的な要求が原因で生じたことまで明らかになりましまた。特に、時代がくだった、文学重視の類書において対句の影響が顕著だというのは興味をそそられます。齋藤教授によると、対句のスタイルは記事の内容にすら影響を及ぼす「フィルター」として働いていたということです。これは、類書の制作にあたってその基礎となる「切り貼り」のプロセスについて再検討を要することを意味し、また、前近代の教養世界における「原典」の性格についてもさらなる再考を促します。

このような生産的で刺激的なワークショップには滅多に参加できません。お忙しいなかニューヨークにお越しいただき、このような素晴らしい機会を作ってくださった神野志教授と齋藤教授、およびほかの「東アジア古典学としての上代文学の構築」プロジェクト参加者に深く感謝いたします。

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